| 通称 |
桂昌院(けいしょういん) |
| 本名 |
桂昌院(けいしょういん) |
| 別名 |
〔通称〕玉・お玉の方
〔官位〕従一位(宝永2年(1705年)6月)
〔その後〕藤原光子(または宗子)
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| 称号 |
〔称号〕
・従三位(貞享元年(1684年)11月)
・従一位(元禄15年(1702年)2月)
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| 時代 |
江戸時代初期 |
| 生誕 |
〔生誕〕寛永4年(1627年)
〔生誕地〕京都
・桂昌院こと、お玉の方は京都の堀川通の八百屋の娘として誕生したとされるが、諸説あり真実は不明。
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| 死没 |
〔死没〕宝永2年6月22日(1705年8月11日)(79歳没)
〔死因〕老衰(心不全)
〔没地〕
〔墓所〕増上寺
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| 国籍 |
日本国 |
| 言語 |
日本語 |
| 出身地 |
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| 居住地 |
・江戸城大奥
・筑波山知足院
・江戸城三の丸
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| 学歴 |
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| 職業 |
・江戸幕府3代将軍・徳川家光の側室
・5代将軍・綱吉の生母
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| 分野 |
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| 所属 |
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| 業績 |
・5代将軍となる綱吉の生母である。
・応仁の乱で一部が焼失した京都の善峯寺の再興に尽力した。
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| 作品 |
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| 受賞歴 |
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| 名言 |
〔桂昌院の名言〕
(桂昌院の直接の名言は見つかりませんでした。)
・しかし、5代将軍となった我が子、綱吉に男の子が生まれないことについて、隆光という僧侶から、次のように言われる。
「世継ぎが生まれないのは前世で多くの殺生を行ったから。今世で生き物を殺さないこと。将軍は戌年なので犬を大事に」
このことを綱吉にどのように言ったか、定かではないものの、「生類憐れみの令」発令にかかわったとも言われる。
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| サイト |
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| その他 |
・衣服の襟や袖に当て布をする習慣があり、綱吉に次のような説明を下とされる。
「下げ渡される者にとっては、襟や袖の汚れた着物は気持ちが悪い。」
・しばしば「玉の輿」の語源とされる俗説がある。
・桂昌院も埋葬された、増上寺で徳川将軍家の墓地改葬に際して、遺骨の調査が行われたg、彼女の血液型はA型であり、身長は146.8cmであったという。(当時の女性の標準的身長)
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