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〔曲亭馬琴(滝沢馬琴)〕

 

 滝沢馬琴は、本来の筆名は曲亭馬琴であり、本名は滝沢興邦である。馬琴は江戸時代後期の読本作者である。明和4年、江戸深川の旗本・松平信成の屋敷において、同家用人・滝沢運兵衛興義、門夫妻の五男として生まれる。

 幼少時より、絵草紙などの文芸に親しみ、7歳で発句(詩歌の初めの一句)を詠んだと伝えられる。17歳のおり、越谷吾山に師事して俳諧を深め、吾山撰の句集『東海藻』に3句を収録している。21歳になると俳文集『俳諧古文庫』を編集している。


 24歳の頃、黄表紙『尽用而二分狂言』を刊行し戯作者として出発、30歳頃からは本格的に創作活動を始めた。読本『高尾船字文』を出し馬琴の出世作となった。


 滝沢馬琴の作品には有名な『椿説弓張月』や『南総里見八犬伝』などがあるが、ほとんど原稿料のみで生計を営むことのできた日本で最初の著述家として知られる。

 滝沢馬琴は非常に多くの号を持っていたが、それらは用途ごとに厳格に使い分けられていたという。

 少年時代に「馬琴」という俳号を用い始めたが、作家として大成して以降は戯作に用いる戯号としてのみ用いた。馬琴は雅俗はまったくの別物として、俗な戯号である「馬琴」を雅号と混同されることを嫌ったという。



偉人のプロフィール

〔滝沢馬琴〕のプロフィール。

〔滝沢馬琴〕

曲亭馬琴の肖像 
(出典:ウイキペディア)
プロフィール
通称

〔通称〕
・曲亭 馬琴(きょくてい ばきん)
・滝沢 馬琴(たきざわ ばきん)

・通称では滝沢馬琴として知られるが、現実には本人はこの筆名を用いてはいない。何故か明治以降にこの呼び名が流布したとされる。

本名

〔本名〕
・曲亭 馬琴(きょくてい ばきん)
・滝沢興邦(たきざわ おきくに)
・滝沢清右衛門

〔旧字体〕
・瀧澤 興邦(たきざわ おきくに)

別名

〔幼名〕
・春蔵
・倉蔵

〔諱〕解

〔号〕
・左七郎
・左七郎興邦
・瑣吉(さきち)
・著作堂主人
・笠翁(りつおう)
・篁民(こうみん)
・蓑笠漁隠(さりつぎょいん)
・飯台陳人(はんだいちんじん)
・玄同(げんどう)など

称号

時代

〔時代〕
・江戸時代

生誕

〔生誕〕明和4年6月9日(1767年7月4日)
〔生誕地〕江戸深川

死没

〔死没〕嘉永元年11月6日(1848年12月1日)(82歳没)
・命日の11月6日は「馬琴忌」と呼ばれる。

〔没地〕江戸
〔法名〕著作堂隠誉蓑笠居士 〔墓所〕東京都文京区 深光寺

国籍 日本国
言語 日本語
居住地

学歴

〔修学〕
・越谷吾山に師事して俳諧を修得
・医師の山本宗洪、山本宗英親子に師事し医術を修得
・儒者、黒沢右仲、亀田鵬斎に師事し儒書を修得

職業

〔職業〕
・江戸時代後期の読本作者

〔活動期間〕
・1791 - 1848年

分野

〔ジャンル〕
・読本
・合巻
・黄表紙
・歳時記
・随筆

所属

業績

〔業績〕
・滝沢馬琴は、『南総里見八犬伝』や『椿説弓張月』に代表される多くの読本を残した。

・江戸時代にあって、作家業だけで生計を立てた日本で最初の人物である。

作品

〔読本〕
 『椿説弓張月』
 『南総里見八犬伝』

 『尽用而二分狂言』(デヴュー作)
 『高尾船字文』
 『小説比翼文』
 『曲亭伝奇花釵児』
 『復讐月氷奇縁』
 『復讐奇譚稚枝鳩』
 『源家勲績 四天王剿盗異録』
 『小夜中山復讐 石言遺響』
 『新編水滸画伝』
 『新累解脱物語』
 『三七全伝南柯夢』
 『雲妙間雨夜月』
 『頼豪阿闍梨恠鼠伝』
 『松浦佐用姫石魂録』
 『俊寛僧都嶋物語』
 『旬伝実々記』
 『松染情史秋七草』
 『夢想兵衛胡蝶物語』
 『朝夷巡島記』
 『近世説美少年録』
 『開巻驚奇侠客伝』

〔合巻〕
 『青砥藤綱摸稜案』、画:北斎-『青砥稿花紅彩画』(白浪五人男)の原作
 『傾城水滸伝』(未完)、画:歌川豊国、歌川国安
 『風俗金魚伝』、画:歌川国安
 『新編金瓶梅』、画:歌川国安、国貞(二代豊国)

〔黄表紙〕
 『廿日余四十両尽用二分狂言』
 『无筆節用似字尽』
 『化競丑満鐘』
 『曲亭一風京伝張』

〔歳時記〕
 『俳諧歳時記』

〔随筆〕
 『著作堂一夕話』(『蓑笠雨談』として刊行し後に改題)
 『燕石雑志』
 『烹雑の記』
 『犬夷評判記』
 『八犬伝』
 『玄同放言』
 『近世物之本江戸作者部類』
 『伊波伝毛之記』
 『吾仏乃記』
 『兎園小説』
 『羈旅漫録』

受賞歴

名言

〔滝沢馬琴の名言〕



サイト

その他