HOME世界の偉人館 現在:PC版スマホ版へ移動 今日の運勢館おすすめおみくじ占い館
日本の偉人世界の偉人分野別偉人人気順偉人地域別偉人
世界の国世界の変革世界の賞偉人の名言サイト情報  
 

信号様式GIFアニメ アマゾン 信号様式GIFアニメ

 

〔日本の偉人〕

〔き〕で始まる日本の偉人

木戸孝允/桂小五郎

(きど たかよし/かつら こごろう)



 木戸孝允(桂小五郎)は、日本の武士、長州藩士であり、幕末から明治時代にかけての政治家である。明治維新の元勲とされ西郷隆盛、大久保利通と並んで「維新の三傑」と称される。また維新の十傑の1人でもある。

 吉田松陰の師事し藩内の尊王攘夷派の中心人物となり、開国・破約攘夷の勤皇志士、長州藩の外交担当者として活躍する。



 維新後には、文明開化推進するほか、版籍奉還・廃藩置県などを唱え、薩長土肥四巨頭による参議内閣制を整えた。憲法や三権分立国家の実現に努力したほか、国民教育や天皇教育の充実に務めた。


偉人のプロフィール

〔木戸孝允(桂小五郎)〕のプロフィール。

〔木戸孝允(桂小五郎)〕

木戸孝允(桂小五郎)の写真 
(出典:wikipedia)

プロフィール
通称 木戸 孝允(きど たかよし)
桂 小五郎 (かつら こごろう)
本名 木戸 孝允(きど たかよし)
桂 小五郎 (かつら こごろう)
別名

〔別名〕
・名の孝允(たかよし)は「こういん」と有職読みされることもある。

〔偽名〕
・幕末に命を特に狙われ続けたため、木戸は、新堀松輔や広戸孝助など10種類以上の偽名を用いた。

称号 〔称号〕
・贈従一位
・勲一等旭日大綬章
時代
生誕 〔生誕〕天保4年6月26日(1833年8月11日)
〔生誕地〕長門国萩城下呉服町(現在の山口県萩市呉服町)
死没 〔死没〕明治10年(1877年)5月26日(満43歳没)
〔死没地〕京都府(現在の京都府京都市)
〔墓所〕京都霊山護国神社
〔死亡原因〕西南戦争中に病死
国籍 日本国
言語 日本語
居住地
学歴 〔学歴〕
・明倫館
職業 日本の武士(長州藩士)、政治家
分野
所属 〔所属政党〕無所属(長州藩閥)
業績 〔業績〕
・長州藩士として討幕に努め、薩長同盟を推進。
・明治維新に貢献した。
・維新政府で総裁局顧問専任や参議を務め、版籍奉還、廃藩置県を実現。
・岩倉使節団に同行。
・五箇条の御誓文の文言作成に貢献した。

・維新の三傑の一人に数えられる。
作品 〔五箇条の御誓文〕
・五箇条の御誓文は、慶応4年(1868年)3月14日に布告されたが、木戸孝允は第一条の当初案「列侯会議を興し」を「廣ク會議ヲ興シ(広く会議を起こし)」に改めるなど文言の作成に貢献した。

受賞歴
名言 〔木戸孝允(桂小五郎)の名言〕

・西郷、いいかげんにせんか。
(西南戦争のさなか、出張中の京都で病気を発症し重篤となり、夢うつつの中で発した言葉。政府と西郷双方の行く末を案じながら息を引き取った。)

・人の巧を取って我が拙を捨て、人の長を取って我が短を補う。

・大道行くべし、又何ぞ防げん。

・己れの生き方に関わるような大問題を他人に聞くな

・事をなすのは、その人間の弁舌や才智ではない。
 人間の魅力なのだ。
 私にはそれがとぼしい。
 しかしあなたにはそれがある、と私はみた。
 人どころか、山でさえ、あなたの一声で動きそうな思いがする。

・一橋の胆略決して侮るべからず、実に家康の再生を見るが如(ごと)けん。

・人民は病人なり。政府は医者なり。

・才子はその才気に自信を持って努力をしないが、愚かな者は自分の愚かさを知って、それなりに努力を加える。青少年のころの才子であるよりは、愚鈍であるほうがよいのである。

サイト
その他