通称 |
北原 白秋(きたはら はくしゅう) |
本名 |
原 隆吉(きたはら りゅうきち) |
別名 |
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受賞歴 |
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時代 |
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生誕 |
〔生誕〕1885年(明治18年)1月25日
〔生誕地〕熊本県玉名郡関外目村(現・南関町)
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死没 |
〔死没〕1885年(明治18年)1月25日(57歳没)
〔死没地〕東京府東京市杉並区阿佐ヶ谷
〔墓所〕多磨霊園
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国籍 |
日本国 |
言語 |
日本語 |
居住地 |
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学歴 |
〔学歴〕
・早稲田大学英文科
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職業 |
日本の詩人、童謡作家、歌人
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分野 |
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所属 |
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業績 |
生涯に数多くの詩歌を残し、今なお歌い継がれる童謡を数多く発表し、活躍した時代は「白露時代」と呼ばれ、三木露風と並んで評される、近代の日本を代表する詩人である。
詩、童謡、短歌以外にも、新民謡の分野でも傑作を残す。
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作品 |
〔詩集〕
『邪宗門』
『思ひ出』
『東京景物詩及其他』
『畑の祭』
『真珠抄』
『白金之独楽』
『水墨集』
『海豹と雲』
『新頌』
〔歌集〕
『桐の花』
『雲母集(きららしゅう)』
『雀の卵』
『観相の秋』
『風隠集』
『海阪(うなさか)』
『白南風(しらはえ)』
『夢殿』
『渓流唱』
『橡(つるばみ)』
『黒檜(くろひ)』
『牡丹の木(ぼたんのぼく)』
〔句集〕
『竹林清興』
〔童謡集〕
『からたちの花』
『トンボの眼玉』
『日本伝承童謡集成』
〔童謡・作詞〕
『雨降り』
『ゆりかごのうた』
『砂山』
『からたちの花』
『この道』
『ペチカ』
『あわて床屋』
『待ちぼうけ』
『城ヶ島の雨』
〔軍歌〕
『伏見軍令部総長宮を讃え奉る』
『皇太子さまお生まれなつた』
『万歳ヒットラー・ユーゲント』
『ハワイ大海戦』
『マレー攻略戦』
『愛国行進曲』
『皇軍行進曲』
『海道東征』
〔市歌〕
『福島県福島市歌』
『東京都八王子市歌』
『愛知県岡崎市歌』
〔民謡・社歌〕
『ちゃっきり節』
『多摩川音頭』
『白洋舎の歌』
『日本電気社歌』
『雲鷹丸記念歌』
〔校歌・応援歌〕
(極めて多くあるが、紹介は省略する。)
〔著書〕
「白秋詩抄」
「白秋抒情詩抄 改版」
藤田圭雄編 「白秋愛唱歌集」
高野公彦編 「北原白秋歌集」
「フレップ・トリップ」
与田凖一編 「からたちの花 - 北原白秋童謡集」
日下武史朗読 「北原白秋詩集」
「桐の花―歌集」
「まざあ・ぐうす」
原達郎著 『柳川ふるさと塾1』
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受賞歴 |
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名言 |
〔北原白秋の名言〕
・誰もみな善い美しいものを見たときに自分もまた善くならなければならないと考へる貴重な反省。最も秀れた精神に根ざしたものは人心の内奥から涙を誘ひ洗ひ清めるのである。
・苦悩は我をして光らしむ、苦悩は我が霊魂(たましい)を光らしむ。
・自分の弱さを心から知り得た時、人は真から強くなる。真の自分を見出す。
・言葉の一つ一つはかの黒の朱のてんとう虫の如く、羽立てて鳴る。微かに鳴る。言葉の一つ一つは凡(すべ)てが生ける言霊(ことだま)
・子供に還らなければ、何一つこの忝(かたじけな)い大自然のいのちの流れをほんとうにわかる筈はありません。
・草を見る心は己自身を見る心である。木を識(し)る心は己自身を識る心である。
・他流を知ることは自己を知ることである。
・この心いよよはだかとなりにけり 涙ながるる涙ながるる。
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サイト |
〔公式サイト〕北原白秋記念館
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その他 |
・毎年三浦市では、みさき白秋まつりが華やかに行われている。城ヶ島の白秋碑前広場で開かれる「碑前祭」のほか、白秋展、童謡まつり、短歌大会、俳句大会などさまざまな行事が催される。
・福岡県柳川市にある北原白秋の生家跡には、白秋生誕当時の母屋と穀倉が現存し、文学館施設として使用されている。
・福岡県柳川市沖端町55-1に、北原白秋記念館がある。
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