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〔日本の偉人〕

〔ま〕で始まる日本の偉人

松平定信

(まつだいら さだのぶ)



 松平定信は、江戸幕府第8代将軍・徳川吉宗の孫に当たる江戸時代中期の大名で老中職を務めた。陸奥白河藩第3代藩主、定綱系久松松平家第9代当主でもある。

 幼少期より聡明であり、いずれは第10代将軍・徳川家治の後継と目されていたがそれが叶うことはなかった。定信は天明の大飢饉で苦しむ領民救済のため、自らが倹約に努め、領民への食料救済措置により、白河藩内で天明の大飢饉による餓死者は出なかったという。



 天明6年に田沼意次が失脚した後、徳川御三家の推挙により、少年期の第11代将軍・徳川家斉のもとで老中首座・将軍輔佐となった。

 祖父・吉宗の享保の改革を手本に寛政の改革を行い、幕政再建を目指した。やがて失脚するも、定信の寛政の改革における政治理念は、幕末期までの幕政の基本として堅持された。


偉人のプロフィール

〔松平定信〕のプロフィール。

〔松平定信〕

松平定信の肖像・写真 
(出典:ウイキペディア)
プロフィール
通称 〔通称〕
・松平 定信(まつだいら さだのぶ)

本名 〔本名〕
・松平 定信(まつだいら さだのぶ)

別名 〔改名〕
・徳川賢丸(幼名)
・松平定信

〔別名〕
・楽翁
・花月翁
・風月翁(号)
・白河楽翁
・たそがれの少将

〔諡号〕守国公
〔神号〕守国大明神

受賞歴 〔栄典〕
・従五位下
・上総介
・越中守
・従四位下
・侍従
・左近衛権少将
・贈正三位

時代 〔時代〕
・江戸時代中期 - 後期

生誕 〔生誕〕宝暦8年12月27日(1759年1月25日)
〔生誕地〕御三卿 田安徳川家

死没 〔死没〕文政12年5月13日(1829年6月14日)(享年72歳)
〔没地〕松山藩三田 中屋敷
〔戒名〕守国院殿崇蓮社天誉保徳楽翁大居士
〔墓所〕東京都江東区白河の霊巌寺

国籍 日本国
言語 日本語
居住地
学歴
職業 〔職業〕
・江戸時代中期の大名
・老中
・陸奥白河藩第3代藩主
・定綱系久松松平家第9代当主

分野 〔ジャンル〕
・幕府政治
・寛政の改革

所属 〔幕府〕
・江戸幕府老中首座
・将軍輔佐

〔主君〕
・徳川家斉

〔藩〕
・陸奥白河藩主

〔氏族〕
・田安徳川家
・久松松平氏

業績 〔業績〕
・松平定信は、江戸幕府第8代将軍・徳川吉宗の孫に当たり、1787年~1793年まで寛政の改革を行った。

作品
名言 〔松平定信の名言〕

・今更に何かうらみむうき事も 楽しき事も見はてつる身は(辞世の句)

サイト
その他