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 鈴木梅太郎は、静岡県榛原郡堀野新田村の農家で出生した、戦前の日本の農芸化学者である。 | 
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 鈴木梅太郎は、1910年(明治43年)6月14日、東京化学会で「白米の食品としての価値並に動物の脚気様疾病に関する研究」を報告した。ここで、白米はいろいろな成分が欠乏していることを認めた。 | 
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 鈴木梅太郎は、静岡県榛原郡堀野新田村の農家で出生した、戦前の日本の農芸化学者である。 | 
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 鈴木梅太郎は、1910年(明治43年)6月14日、東京化学会で「白米の食品としての価値並に動物の脚気様疾病に関する研究」を報告した。ここで、白米はいろいろな成分が欠乏していることを認めた。 | 
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 その証拠に、ニワトリとハトを白米で飼育すると脚気様の症状が現れ死んでしまうことを示した。更に糠(ぬか)と麦と玄米には脚気を予防して快復させる効果があることを示した。 | 
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 この論文がドイツ語に翻訳されたとき、「これは新しい栄養素である」という一文が訳出されなかったために、「オリザニン」は世界的な注目を受けられず、「ビタミン」の第一発見者の名誉を得ることができなかったのが残念である。 
 ・オリザリン(鈴木梅太郎) 
 オリザリンの純粋な結晶が抽出されたのは、1931年(昭和6年)になってからのことであり、その翌年になって、脚気病研究会で香川昇三によりオリザニンの「純粋結晶」は脚気に特効のあることが報告された。 | 
|   | ◆〔鈴木梅太郎〕のプロフィール。 |