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〔杉原千畝〕

 

 杉原千畝は、日本の官僚、外交官である。杉原は、第二次世界大戦中、リトアニアのカウナス領事館に赴任していたが、当時、ナチス・ドイツの迫害を逃れ、ポーランドから避難してきた難民に、大量のビザを発給した。

 当時の日本の外務省からの訓令に反したものだったが、これにより、約6000人ほどの避難民が救済された。難民の多くはユダヤ系であったことで、「日本のシンドラー」と呼ばれることがある。


 1985年(昭和60年)1月18日、イスラエル政府は、多くのユダヤ人の命を救出した功績として日本人では初めてで唯一の「諸国民の中の正義の人」として「ヤド・バシェム賞」を贈っている。

 千畝の名前が世に知られるようになり、多くの賞賛の声が上がったが、一方で政府の訓命に反した行いだったとの理由で、「国賊だ、許さない」などと中傷する人達もいた。

 外務省訓令を無視してビザを発給し続けた杉原は戦後の1947年、外務省を辞任した。外交官としての名誉回復は、実に44年後の1991年であった。


あ行か行さ行た行な行
は行ま行や行ら行わ行
 
さしすせそ
 
〔す〕で始まる日本の偉人

杉原千畝 杉田玄白
杉文 鈴木貫太郎
鈴木章 鈴木大拙
鈴木梅太郎 菅原道真
 
〔杉原千畝:珠玉の名言〕
 

・私たちと同じ立場の人が仮に百人いたとしても、このユダヤ人たちを助けようとしないかもしれない。でも僕たちはやろうか。

・あの人たちを憐れに思うからやっているのだ。彼らは国を出たいという、だから私はビザを出す。ただそれだけのことだ。

・私に頼ってくる人々を見捨てるわけにはいかない。でなければ私は神に背く。

 

 当時の鈴木宗男外務政務次官が杉原幸子(ゆきこ)夫人を招き、人道的かつ勇気ある判断を高く評価、杉原家に謝罪し名誉を回復した。鈴木宗男氏は、こうも述べている。

「杉原さんが立派だったのは、外交官である前に“一人の人間”だったということです。」

 そして、日本国政府による公式の名誉回復が行われたのは、21世紀を目前とする2000年10月10日になってのことであった。


 千畝生誕百周年にあたる2000年、「勇気ある人道的行為を行った外交官杉原千畝氏を讃えて」と書かれた、顕彰プレートが外交史料館に設置された。

 除幕式で当時の河野洋平外相は、戦後の外務省の非礼を認め、遺族に対して日本国として、正式に謝罪しました。これにより、千畝の名誉は回復したのでした。

 遅すぎた名誉回復ではあったが、日本国政府がその過ちからようやく目覚めたことは嬉しいことである。

杉原千畝発行のビザ 
(出典:ウイキペディア)


偉人のプロフィール

〔杉原千畝〕のプロフィール。

〔杉原千畝〕

杉原千畝の肖像・写真 
(出典:ウイキペディア)
プロフィール
通称

〔通称〕
・杉原 千畝(すぎはら ちうね)

本名

〔本名〕
・杉原 千畝(すぎはら ちうね)

別名

〔別名〕
・Sempo Sugihara
(外務省からソ連派遣の際に、別人として査証を申請するため)

称号

時代

〔時代〕
・明治時代~昭和時代

生誕

〔生誕〕1900年(明治33年)1月1日
〔生誕地〕岐阜県武儀郡上有知町(現在の美濃市)

死没

〔死没〕1986年(昭和61年)7月31日(満86歳没)
〔没地〕神奈川県鎌倉市
〔墓所〕鎌倉霊園

国籍 日本国
言語 日本語
居住地

〔住居〕
・神奈川県藤沢市鵠沼
・鎌倉市津

学歴

〔学歴〕
・早稲田大学高等師範部英語科(現:教育学部英語英文学科)予科中退
・日露協会学校特修科修了

職業

〔職業〕
・外務省職員
・駐リトアニア在カウナス日本領事館領事代理

分野

〔ジャンル〕
・ナチスから迫害されたユダヤ人民救済

所属

〔所属〕
・日本国政府職員

業績

〔業績〕
・リトアニアでユダヤ人を中心とした6,000人以上の避難民にビザ発給
(ナチスによる彼らへの迫害から命を救った。)

作品

受賞歴

〔受賞歴〕
・諸国民の中の正義の人(イスラエル政府:ヤド・バシェム賞)
・ポーランド復興勲章

〔顕彰〕
・母校早稲田大学キャンパス内に顕彰碑建立

名言

〔杉原千畝の名言〕

・ビザを発行しようと思うんだけど、どう考える?ビザを発行すると、我々もドイツに捕まってしまうかもしれない。ユダヤ人を逃がそうとしてるんだから、私達もただではすまない。どう思う?(奥様に対しての問い)。

・苦慮、煩悶の揚句、私はついに、人道、博愛精神第一という結論を得た。そして私は、何も恐るることなく、職を賭して忠実にこれを実行し了えたと、今も確信している。

・外務省に背いて領事の権限を使って、この人たちにビザを発行しようと思う。

・回訓を、文字通り民衆に伝えれば、そしてその通り実行すれば、私は本省に対して従順であるとして、ほめられこそすれ、と考えた。

・仮に当事者が私でなく、他の誰かであったとすれば、恐らく百人が百人、東京の回訓通り、ビザ拒否の道を選んだだろう。

・それは、何よりも、文官服務規程方、何条かの違反に対する昇進停止、乃至、馘首が恐ろしいからである。私も、何をかくそう、回訓を受けた日、一晩中考えた。

・最初の回訓を受理した日は、一晩中私は考えた。考えつくした。

・私たちと同じ立場の人が仮に百人いたとしても、このユダヤ人たちを助けようとしないかもしれない。でも僕たちはやろうか。

・人道的な観点から、ビザの発給を拒否する事はできない。領事(自分)の判断で発行してもいいだろうか?

・人間としての資質をもち、この手でユダヤ人を救おう!

〔杉原千畝語録〕(ウイキペディアより転載)

・私に頼ってくる人々を見捨てるわけにはいかない。でなければ私は神に背く。

・私のしたことは外交官としては間違っていたかもしれない。しかし、私には頼ってきた何千もの人を見殺しにすることはできなかった。(千畝の激励としてソリー・ガノールが記憶している言葉。)

・世界は、大きな車輪のようなものですからね。対立したり、あらそったりせずに、みんなで手をつなぎあって、まわっていかなければなりません・・・。では、お元気で、幸運をいのります。(ビザ発給の際にある難民にかけた千畝の励ましの言葉)

・果たして、浅慮、無責任、我無者らの職業軍人グループの、対ナチス協調に迎合することによって、全世界に隠然たる勢力を有するユダヤ民族から、永遠の恨みを買ってまで、旅行書類の不備とか公安上の支障云々を口実に、ビーザを拒否してもかまわないとでもいうのか? それがはたして国益に叶うことだというのか?

・新聞やテレビで騒がれるようなことではない。

・大したことをしたわけではない。当然の事をしただけです。

・難民たちには、男性だけでなく、女性や老人、子供までいた。みな明らかに疲労困憊している様子だった。

・あの人たちを憐れに思うからやっているのだ。彼らは国を出たいという、だから私はビザを出す。ただそれだけのことだ。(モシェ・ズプニックが聞いた言葉)

サイト

その他

〔顕彰碑〕
 2011年(平成23年)10月24日、早稲田大学出身の超党派の国会議員を中心に「杉原千畝顕彰会」が発足、顕彰碑が母校内早稲田キャンパス14号館脇に建立された。その碑文には、「外交官としてではなく、人間として当然の正しい決断をした」と書かれている。

〔クリスマスプレゼント〕
 2011年12月24日、「第二次世界大戦中、リトアニア領事として同国からアメリカへ脱出する多くのユダヤ人の命を救った杉原千畝への恩を忘れないとの思いから」、アメリカのリトアニア人居住地区から、東日本大震災で神奈川県秦野市内に避難している子供たちに対し、クリスマスプレゼントとして、ノートとクレヨンが寄付された。

〔植樹〕
 千畝の母校、愛知県立瑞陵高校に、在日イスラエル大使館から感謝のためのオリーブの木が贈られ、植樹式が行われた。

〔チウネ・スギハラ通り〕
 2016年6月8日、杉原の没後30年を期にイスラエルのネタニヤ市に当人の名を冠した「チウネ・スギハラ通り」が新たに名付けられた。