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〔小村寿太郎〕

 

 小村壽太郎は、日向国飫肥藩の下級藩士・小村家の長男として生まれた、日本の政治家であり外交官である。

 彼は、東京大学の前身である大学南校に入学、第1回文部省海外留学生としてハーバード大学へ留学し法律を学んだ。


 帰国後、司法省に入省し大審院判事を経て、1884年に外務省へ異動する。

 陸奥宗光に認められ清国代理公使を務め、日清戦争後には駐韓弁理公使も務め、在朝鮮ロシア総領事のカール・ヴェーバーと小村・ウェーバー覚書を交わした。

 日露戦争後には、ロシア側とのポーツマス条約を調印した。韓国併合などでも活躍した。



偉人のプロフィール

〔小村寿太郎〕のプロフィール。

〔小村寿太郎〕

小村寿太郎の肖像・写真 
(出典:wikipedia)

プロフィール
通称 小村 寿太郎(こむら じゅたろう)
本名 小村 壽太郞(こむら じゅたろう)
別名

称号

〔叙位〕
・従六位
・正六位
・従五位
・従四位
・従三位
・正三位
・従二位

〔叙勲〕
・勲三等瑞宝章
・勲二等旭日重光章
・勲一等旭日大綬章
・旭日桐花大綬章

〔叙爵〕
・男爵
・伯爵
・侯爵

〔外国勲章佩用允許〕
・ハワイ王国 王冠第二等勲章
・連合王国 聖マイケル・聖ジョージ勲章ナイト・グランド・クロス
・プロイセン王国 赤鷲第一等勲章
・連合王国 バス勲章ナイト・グランド・クロス
・連合王国 ロイヤル・ヴィクトリア勲章ナイト・グランド・クロス

時代

江戸時代・明治時代

生誕

〔生誕〕1855年10月26日(安政2年9月16日)
〔生誕地〕日向国飫肥(現:宮崎県日南市)

死没

〔死没〕1911年(明治44年)11月26日(56歳没)
〔死没地〕神奈川県三浦郡葉山町
〔墓所〕東京都港区青山霊園

国籍 日本国
言語 日本語
居住地

学歴

〔学歴〕
・藩校、振徳堂
・大学南校(現:東京大学)
・ハーバード大学ロー・スクール
 (第1回文部省海外留学生)

職業

〔職業〕
・日本の外交官
・政治家

分野

〔政治活動〕
・司法(大審院判事)
・清国代理公使 ・駐韓弁理公使 ・外務次官

・駐米公使 ・駐露公使 ・外務大臣(第2次桂内閣)

所属

〔所属〕
・貴族院議員(侯爵終身)
・外務大臣(第2次桂内閣)

業績

・在朝鮮ロシア総領事のカール・ヴェーバーと小村・ウェーバー覚書を交わした。

・義和団の乱では講和会議全権として事後処理にあたった。(1900年:明治33年)

・日英同盟を積極的に主張して締結、その功により男爵を授けられる。(1902年:明治35年)

・日露戦争後、ポーツマス会議日本全権としてロシアの全権ウィッテと交渉、日露講和条約(ポーツマス条約)を調印する。このポーツマス条約締結の功により伯爵に陞爵する。

(1905年:明治38年)

・幕末以来の不平等条約を撤廃するための条約改正の交渉を行い、1911年(明治44年)に日米通商航海条約を調印して関税自主権の回復を果たした。

・日露協約の締結や韓国併合にも関わり、一貫して日本の大陸政策を進めた。韓国併合の功により侯爵に陞爵。

作品

受賞歴

名言

〔小村寿太郎の名言〕

・日本には、まだ外交はないのだ。真の外交はこれから起こってくるのだ。

・ことの善悪は、その人の決心一つで決まる。

・うその外交は骨がおれるし、いつかはばれるが、つねに誠をもって押し通せば、たいした知恵もつかわずに済む。

・もし私に誇るべきものがあるとしたら、それはただ「誠」という言葉に集約されるであろう。つまるところ、学問や同胞との付き合いでも、また将来のことを考える場合でも、この「誠」の心を忘れずに貫く覚悟でいるのだ。

・世の中の政治変化にともなって私の精神も完全に切り替わった。・・・まだ領主への忠誠心は持ち続けていたが、それよりも愛国心の方が強かったので、領主がその地位を辞したときは残念というよりもむしろ嬉しかった。

・日本はもう戦争をしてはいけません。戦争をする必要がないだけのことは、布石を打ったつもりです。これからは産業などに力を入れて、国民を楽に暮らさせていくことです。

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