古典の書物で南朝寄りの『太平記』では正成の事跡は好意的に書かれている。一方で、足利尊氏に近い書籍『梅松論』でも、正成のことを悪く書くこと七区、むしろ同情的な表現がされている。
ここでは、かつでの友で清廉な正成に、尊氏自身がある種の尊敬の念をもっていたためとされている。尊氏は、戦死した正成の首を「むなしくなっても家族はさぞや会いたかろう」と言って丁重に遺族へ渡させたという。
楠正成は、南朝を支えた勇士であったことを貴しとした、明治天皇から「大楠公」と称され、「正一位」を追贈された。現在、勇壮な楠木正成像が皇居外苑に設置されている。。
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(出典:wikipedia)
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日本の唱歌の一つに『桜井の訣別』というものがある。湊川の決戦で死地の赴く楠木正成とその息子楠木正行(まさつら)の別れを歌った歌である。「青葉茂れる桜井の」、あるいは「大楠公の歌」ともいう。哀しい歌ではあるが、天皇家に尽くした正成の歌であり、戦時中はよく歌われた。(作詞は落合直文、作曲は奥山朝恭)
〔桜井の訣別〕歌詞
1.青葉茂れる桜井の
里のわたりの夕まぐれ
木の下陰に駒とめて
世の行く末をつくづくと
忍ぶ鎧の袖の上に
散るは涙かはた露か
2.正成涙を打ち払い
我が子正行呼び寄せて
父は兵庫に赴かん
彼方の浦にて討ち死せん
汝はここまで来つれども
とくとく帰れ故郷へ
3.父上いかにのたもうも
見捨てまつりてわれ一人
いかで帰らん帰られん
この正行は年こそは
未だ若けれ諸ともに
御供仕えん死出の旅
4.汝をここより帰さんは
我が私の為ならず
おのれ討死為さんには
世は尊氏の儘ならん
早く生い立ち大君に
仕えまつれよ国の為
5.この一刀は往にし年
君の賜いしものなるぞ
この世の別れの形見にと
汝にこれを贈りてん
行けよ正行故郷へ
老いたる母の待ちまさん
6.共に見送り見返りて
別れを惜しむ折からに
またも降りくる五月雨の
空に聞こゆる時鳥
誰か哀れと聞かざらん
あわれ血に泣くその声を
この曲の歌唱とカラオケのリンクをここに掲載しますので、お聞きください。また、昔の思い出のある方は、カラオケで歌ってみてください。
◆桜井の決別(歌唱)
◆桜井の決別(カラオケ)
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