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〔熊谷守一〕

 

 熊谷守一は、岐阜県恵那郡付知村出身の日本の画家である。1900年に東京美術学校西洋画家選科へ進む。1905年、美術学校卒業後に樺太調査団に参加し、アイヌの人々の生活に触れ、自然に生きる姿に感動したという。

 富裕層の出身にも関わらず、無欲で物事に執着することもなく、芸術家気質の貧乏生活を送った。〔画壇の仙人〕といわれるほどに「二科展」への出品を続けた。


 自宅は草木や蛙や魚、小鳥や虫、猫などの生命に囲まれて生涯を過ごしたが、90歳を過ぎて、他人から何が欲しいか問われれば、「いのちが欲しい」と答えたという。



偉人のプロフィール

〔熊谷守一〕のプロフィール。

〔熊谷守一〕

熊谷守一の肖像・写真 
(出典:wikipedia)

プロフィール
通称 熊谷 守一(くまがい もりかず)
本名 熊谷 守一(くまがい もりかず)
別名

画壇の仙人

受賞歴

時代

明治時代~昭和時代

生誕

〔生誕〕1880年(明治13年)4月2日
〔生誕地〕岐阜県恵那郡付知(現・中津川市付知町)

死没

〔死没〕1977年(昭和52年)8月1日)(97歳没)
〔没地〕
〔墓所〕多磨霊園

国籍 日本国
言語 日本語
居住地

学歴

〔学歴〕
・共立美術学館入学(1898年)
・東京美術学校入学(1900年)

職業

日本の画家

分野

・日本の美術史においてフォービズムの画家
・晩年は抽象絵画に接近

所属

〔所属〕
 ・二紀会
 ・二科展(所属というか、多く出品)

業績

〔業績〕
・1929年(昭和4年)二科技塾開設に際し参加。後進の指導に当たった。
・1947年(昭和22年) 二紀会創立に参加。

作品

〔代表作〕
 『蝋燭』
 『陽の死んだ日』
 『裸婦』
 『裸婦』
 『ヤキバノカエリ』
 『伸餅』
 『種蒔』
 『土饅頭』
 『化粧』
 『白猫』
 『雨滴』
 『猫』
 『岩殿山』
 『兎』
 『泉』
 『芍薬』
 『アゲ羽蝶』

〔著作〕
  随筆集『へたも絵のうち』
  随筆集『蒼蠅』

受賞歴

・1967年(昭和42年)87歳、「これ以上人が来てくれては困る」文化勲章の内示を辞退した。

・1972年(昭和47年)の勲三等叙勲も辞退している。

名言

〔熊谷守一の名言〕

・自分を生かす自然な絵を描け。

・上手は先が見える。下手はどうなるかわからないのでスケールは大きい。

・石ころ一つあれば一生遊べる。

サイト

その他

・愛知県の資産家・木村定三が熊谷守一の作品に惚れ、蒐集した100点を越える村山コレクションが美術館、愛知県美術館に展示されている。

・熊谷守一つけち記念館が生まれ故郷に設立されている。

・豊島区立熊谷守一美術館が、1985年に自宅を建て替え私設美術館として開館している。次女・熊谷榧が館長を務める。2007年11月6日より豊島区立となる。