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アマゾン〔日本の偉人〕〔く〕で始まる日本の偉人楠木正成(くすのき まさしげ) |
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兵糧攻めが始まり、正成軍は20日で食糧が尽き、城に火を放つが、抜け道から脱出して行方をくらましてしまう。その後も奇策による戦が続き、結局、140年続いた鎌倉幕府滅亡へと続くのである。 |
プロフィール |
通称 | 楠木 正成(くすのき まさしげ) |
本名 | 楠木 正成(くすのき まさしげ) |
別名 |
〔改名〕多聞丸(幼名)→兵衛尉→正成 |
称号 |
〔官位〕兵衛尉、従五位上、検非違使、左衛門少尉、河内国・和泉国・摂津国守護、贈正一位 ・明治以降は「大楠公(だいなんこう)」と称され、明治13年(1880年)には「正一位」を追贈された。 |
時代 | 鎌倉時代末期~南北朝時代 |
生誕 |
〔生誕〕永仁2年(1294年)? |
死没 |
〔死没〕延元元年/建武3年5月25日(1336年7月4日) 〔没地〕 〔墓所〕観心寺 |
国籍 | 日本国 |
言語 | 日本語 |
居住地 | |
学歴 | |
職業 | 鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将 |
分野 | |
所属 |
〔主君〕後醍醐天皇 〔氏族〕楠木氏 |
業績 |
・後醍醐天皇を奉じて鎌倉幕府打倒に貢献し、建武の新政の立役者として足利尊氏らとともに天皇を助けた。 ・尊氏の反抗後、新田義貞や北畠顕家とともに南朝側の軍の一翼を担ったが、湊川の戦いで尊氏の軍に敗れて自害して果てる。 |
作品 | |
受賞歴 | |
名言 |
〔楠木正成の名言〕
・足ることを知って、及ばぬことを思うな。 |
サイト | |
その他 |
古典の書物で南朝寄りの『太平記』では正成の事跡は好意的に書かれている。一方で、足利尊氏に近い書籍『梅松論』でも、正成のことを悪く書くこと七区、むしろ同情的な表現がされている。 ここでは、かつでの友で清廉な正成に、尊氏自身がある種の尊敬の念をもっていたためとされている。尊氏は、戦死した正成の首を「むなしくなっても家族はさぞや会いたかろう」と言って丁重に遺族へ渡させたという。 楠正成は、南朝を支えた勇士であったことを貴しとした、明治天皇から「大楠公」と称され、「正一位」を追贈された。現在、勇壮な楠木正成像が皇居外苑に設置されている。。 (出典:wikipedia) 日本の唱歌の一つに『桜井の訣別』というものがある。湊川の決戦で死地の赴く楠木正成とその息子楠木正行(まさつら)の別れを歌った歌である。「青葉茂れる桜井の」、あるいは「大楠公の歌」ともいう。哀しい歌ではあるが、天皇家に尽くした正成の歌であり、戦時中はよく歌われた。(作詞は落合直文、作曲は奥山朝恭)
〔桜井の訣別〕歌詞 この曲の歌唱とカラオケのリンクをここに掲載しますので、お聞きください。また、昔の思い出のある方は、カラオケで歌ってみてください。 ◆桜井の決別(歌唱)◆桜井の決別(カラオケ) |