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〔く〕で始まる日本の偉人

空海 熊谷守一
黒澤明 草野心平
楠木正成

〔日本の偉人〕

〔く〕で始まる日本の偉人

 

 〔く〕で始まる日本の偉人は多くはいませんが、次に示すような有名な偉人たちがいます。

 ・黒澤明
 ・空海
 ・熊谷守一
 ・草野心平
 ・楠木正成



 黒澤明は、日本を代表する映画監督のひとりで、ダイナミックな映像表現による多くの名作を残しました。小津安二郎や溝口健二、成瀬巳喜男らと共に世界的に名を轟かせました。

 彼の残した代表作には次のような名作があります。中でも『七人の侍』は、その後のアメリカ映画に多大な影響を与えました。

 『羅生門』
 『七人の侍』
 『隠し砦の三悪人』
 『赤ひげ』
 『天国と地獄』
 『影武者』
 『乱』



 楠木正成は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将である。後醍醐天皇が幕府打倒を目指し京都で挙兵した際、足利尊氏とともにこれを支援した武将のひとりである。

 鎌倉幕府滅亡後、勝利した後醍醐天皇は民衆に重税を課すなどで人望を失い、足利尊氏たちが反旗を翻すこととなる。

 楠木正成は、後醍醐天皇に反旗を翻した足利尊氏と戦うこととなったが、湊川の戦いで尊氏の軍に敗れ自害して果てた。

 その時代死してまで天皇家を支えようとした功績により、戦前には、『青葉茂れる桜井の』の曲が歌われました。また、現在でも彼の銅像が皇居を望む場所にある。


〔く〕で始まる偉人概要

〔空海〕

 空海は、唐より真言密教を持ち帰って真言宗を開いた、平安時代初期の僧で、弘法大師として知られる。真言宗の開祖であり、高野山金剛峰寺を開いた。823年には、東寺を与えられ真言密教の道場とした。更に、828年には、庶民のための学校となる綜芸種智院を建設した。

 能書家としても知られ、嵯峨天皇・橘逸勢と共に三筆のひとりに数えられている。主な著作に『三教指帰』『弁顕密二経論』『十住心論』などがある。


〔熊谷守一〕

 熊谷守一は、岐阜県恵那郡付知村出身の日本の画家である。1900年に東京美術学校西洋画家選科へ進む。1905年に、美術学校卒業後に樺太調査団に参加し、アイヌの人々の生活に触れ、自然に生きる姿に感動したという。

 富裕層の出身にも関わらず、無欲で物事に執着することもなく、芸術家気質の貧乏生活を送った。〔画壇の仙人〕といわれるほどに「二科展」への出品を続けた。

 自宅は草木や蛙や魚、小鳥や虫、猫などの生命に囲まれて生涯を過ごしたが、90歳を過ぎて、他人から何が欲しいか問われれば、「いのちが欲しい」と答えたという。


〔黒澤明〕

 黒澤明は、日本の映画監督、世界にその名ありと知られた日本映画史上の巨匠である。躍動的・感動的な映像表現や人道的精神に徹した作風に特徴があり、日本のみならずその後の世界の映画界で〔世界のクロサワ〕と呼ばれ多大な影響を与えた。

 作品は、アカデミー賞のほか、三つの映画祭、ヴェネツィア、カンヌ、ベルリンで受賞している。

 代表作に『羅生門』『七人の侍』『隠し砦の三悪人』『赤ひげ』『天国と地獄』『影武者』『乱』などがある。


〔草野心平〕

 草野心平は、福島県石城郡上小川村出身の詩人である。5人の兄弟の次男として生まれ、1919年に中学を中退し上京する。その後、中国の広東嶺南大学に進学するが、排日運動により帰国し、この頃より詩作を始める。

 1923年に詩集『廃園の喇叭』を自費出版した。更に、雑誌『銅鑼』を主催し、宮沢賢治らの同人の作品を紹介した。1928年には全編を蛙のテーマにした詩集『第百階級』を刊行する。1950年に『蛙の詩』により第1回読売文学賞を受賞している。


〔楠木正成〕

 楠木正成は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将である。鎌倉時代末期、元寇から半世紀が経ったころ幕府には恩賞を与える実力もなく権威は失墜していた。民は重税に苦しみ、世は乱れ、後醍醐天皇が幕府打倒を目指し京都で挙兵する。これを支援した数少ない武将のひとりが楠木正成であった。

 正成はわずか500の普段は百姓をしている地侍で挙兵し、数万の幕府軍と戦うことになる。正成軍に兜などあろう筈もない惨めな軍勢だったし、山城も粗末なものであったため、幕府軍は「1日くらい持ちこたえてくれねば恩賞がもらえぬ」と罵声を浴びせた。

 幕府軍が城を取り囲み斜面を埋め尽くした瞬間、それは起こった。城の外壁が崩れ落ち幕府軍は一気に700名もの兵を失ってしまったのだ。様々な奇策で翻弄したのである。幕府軍にいた足利尊氏は、正成は只者ではないと感心したという。

 兵糧攻めが始まり、正成軍は20日で食糧が尽き、城に火を放つが、抜け道から脱出して行方をくらましてしまう。その後も奇策による戦が続き、結局、140年続いた鎌倉幕府滅亡へと続くのである。

 しかし、勝利した後醍醐天皇は、公家を重んじ武家を軽んじたり、民衆に厳しい税を課したために信望を失い、足利尊氏たちが反旗を翻すことになる。圧倒的多数の敵と対決した楠木正成は自害して果てることとなる。(ここには、余白がなくこれ以上、書けないのが残念である。)


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