〔近衛文麿〕
近衞文麿は、日本の政治家である。後陽成天皇の12世孫にあたり、五摂家の近衞家の第30代目当主である。
貴族院議員になった後、火曜会を結成し、大政翼賛会を設立もした。貴族院副議長、貴族院議長、内閣総理大臣、外務大臣、拓務大臣、農林大臣、司法大臣、国務大臣などの要職を歴任した。三度にわたり内閣総理大臣として国政にあたった。外交政策では大東亜共栄圏建設を掲げ、日独伊三国軍事同盟や日ソ中立条約を締結した。
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〔近藤勇〕
江戸時代末期の武士。豪農に生まれ幼名を藤五郎と称した後の近藤勇は、天然理心流剣術道場・試衛館に入門し腕前を認められ、流派一門の宗家を継ぐ。
徳川家茂上洛時の警護役の〔浪士組〕へ参加し京都へと向かい、隊は〔壬生浪士組〕を経て〔新選組〕と変わり、隊内で対立した芹沢一派を暗殺して全権を握る。やがて起こる鳥羽・伏見の戦いに敗れ新選組は幕府軍艦で江戸に戻る。その後、いくたの経緯を経て後、処刑された。満33歳だった。
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〔古賀政男〕
古賀政男は、日本の昭和期の代表的作曲家で数多くの流行歌を作曲し、多数の歌手に提供している。中でも藤山一郎や美空ひばり、村田英雄などに提供した名曲は現在でも絶大な人気がある。
代表作品には、『酒は涙か溜息か』『影を慕いて』『人生劇場』『誰か故郷を想わざる』『湯の町エレジー』『ゲイシャ・ワルツ』『柔』『悲しい酒』などがある。
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〔古関裕而〕
古関裕而は、作曲家である。1929年、チェスター楽譜出版社募集の作曲コンクールに入選して、日本人として初めて国際的コンクールの入選履歴を得た作曲家として知られる。生涯に作曲した曲数は五千曲に及ぶという。
山田耕筰の推挙もあり東京に出て、当初のクラシック音楽分野から流行歌へと転身を果たし、時代の要請もあり多くの軍歌や歌謡曲を残した。代表曲には、早稲田大学第一応援歌『紺碧の空』や阪神タイガースの応援歌『六甲颪』、東京五輪のオリンピックマーチなどがある。
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〔小柴昌俊〕
小柴昌俊は、日本の物理学者である。1987年、大マゼラン雲内に発生した超新星「SN 1987A」の爆発に伴うニュートリノを検出したことで知られる。
自らが設計し建設したカミオカンデによる大発見であり、2002年、ノーベル物理学賞を受賞している。〔SN〕とは超新星(スーパーノバ:SuperNova)の略号である。
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〔小泉純一郎〕
小泉純一郎は、1942年、横須賀市で小泉家の長男として生まれた、日本の政治家である。小泉家は母方の祖父小泉又次郎は第2次若槻内閣で逓信大臣を務めたほどの家であったが、戦後には公職追放にあい、経済的には苦労したとされている。
福田赳夫の秘書を経て、1972年に参議院議員に当選し、以来12期連続当選している。自由民主党では清和会(福田派、安倍派、三塚派、森派)に所属した。厚生大臣、郵政大臣、自由民主党総裁、内閣総理大臣などを歴任した。
平成17年、小泉が「改革の本丸」に位置付ける郵政民営化関連法案は、党内でも根強い反対があったが、これを強行突破したことで大きな政争と化した。賛否両派の抗争の末え法案が否決されると、小泉は反対派を〔抵抗勢力〕と名付け、衆議院解散を強行した。世にいう〔郵政解散〕である。
小泉は反対派候補には自民党公認を与えず、逆に刺客を送り込む作戦をとり、自公での圧勝を勝ち取ったが、これをマスコミは〔小泉劇場〕と呼んだ。
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〔小泉八雲〕
小泉八雲は、ギリシャ出身の新聞記者・紀行文作家・随筆家・小説家・日本研究家・日本民俗学者である。出生名のパトリック・ラフカディオ・ハーンとしても知られる。
日本国籍を取得して小泉八雲と名乗るようになり、多くの作品を残したが、中でも『怪談』に収められた、『耳なし芳一』『むじな』『ろくろ首』『雪女』『葬られた秘密』『食人鬼』などの物語は特に有名である。
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〔小泉武夫〕
小泉武夫は、福島県小野町の酒造家出身の日本の農学者・発酵学者・文筆家である。東京農業大学農学部醸造学科卒業後、博士論文「酵母の生成する香気に関する研究」で東京農業大学農学博士号を取得している。専門分野は発酵学、食品文化論、醸造学である。
世の中で醗酵の話がでれば、必ず彼が登場するほど有名な人物であり、TVで見かけることも多い。ドラえもんに似ているというその人柄も面白く、ニックネームでは、〔味覚人飛行物体〕〔走る酒壷〕〔鋼鉄の胃袋〕〔発酵仮面〕〔人間リカオン〕〔ムサボリビッチ・カニスキー〕などと親しまれている。彼の書籍も非常に多い。
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〔小池邦夫〕
小池邦夫は、松山のミカン農家の次男として生まれた芸術家であり、絵手紙の創始者である。小池邦夫は、幼少時、故郷松山の大山積神社の鳥居に彫られた三輪田米山の書に惹かれ、書家を志したという。
高校卒業後に芸術を学ぼうと東京学芸大学書道科へと進学したが、書道教師になる意思はなく、卒業目前にして中退してしまう。やがて小池は、手紙の中に、詩・書・画の三位一体を表現する世界を創りだすようになり、ここに絵手紙という新しい芸術分野を創設した。『ヘタでいいヘタがいい』がモットーだという。
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〔小平邦彦〕
小平邦彦は、東京都出身で最終学歴を、東京帝国大学理学部数学科および物理学科卒業の数学者である。
小平は20世紀を代表する数学者のひとりとされ、1954年には数学界のノーベル賞とされる〔フィールズ賞〕を日本人として初めて受賞している。難解だが、調和積分論や二次元代数多様体(代数曲面)の分類などによる功績によるものである。〔小平次元〕〔小平消滅定理〕〔小平・スペンサー理論〕等に名を残している。
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〔小林一茶〕
小林一茶は、信濃北部の北国街道柏原宿の中農の長男として生まれた、江戸時代を代表する俳諧師の一人である。14歳で江戸へ奉公に出たが、25歳の時に小林竹阿に師事して俳諧を学び、29歳で故郷に戻り、翌年より36歳まで、俳諧修行のため近畿・四国・九州を歴遊する。
一茶は、生涯に3度結婚していて生まれた子供も多かったが、何れも夭折していて、彼の死後に生まれた一人だけが血脈を伝えたという。彼は多くの俳句を残した。
めでたさも中位(ちゆうくらゐ)なりおらが春
やせ蛙(がへる)まけるな一茶これにあり
雀の子そこのけそこのけお馬が通る
やれ打つな蝿(はへ)が手をすり足をする
名月をとってくれろと泣く子かな
我ときて遊べや親のない雀
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〔小林誠〕
小林誠は、愛知県名古屋市出身の理論物理学者である。小林の専門分野は原子物理学の中の素粒子理論であり、中でも〔CKM行列:カビボ・小林・益川行列(Cabibbo-Kobayashi-Maskawa matrix)〕や〔小林・益川理論〕の功績で知られている。
名古屋大学で坂田昌一の薫陶を受け、理論物理学の研究を行い、〔小林・益川理論〕の功績などにより2008年には益川敏英、南部陽一郎と共にノーベル物理学賞を受賞した。
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〔小林旭〕
小林旭は、日本で活躍する俳優であり歌手であるが、柔道五段でゴルフの達人でもあり、恰好もクールで通称では〔マイトガイ〕と呼ばれている。
彼は子役あがりから第3期日活ニューフェースに合格、『飢える魂』で映画俳優としてデビューした。シリーズもの映画『渡り鳥』や『旋風児』などで大活躍し日活黄金時代の主役となった。歌手としても大活躍し、独特な歌唱法を称して『アキラ節』と呼ばれることが多い。
人気演歌に、『熱き心に』『北へ』『素晴らしき哉人生』『さすらい』『私の名前が変わります』『昭和・露地裏話』『北帰行』『昔の名前で出ています』などがある。
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〔小村寿太郎〕
小村壽太郎は、日向国飫肥藩の下級藩士・小村家の長男として生まれた、日本の政治家であり外交官である。彼は、東京大学の前身である大学南校に入学、第1回文部省海外留学生としてハーバード大学へ留学し法律を学んだ。
帰国後、司法省に入省し大審院判事を経て、1884年に外務省へ異動する。陸奥宗光に認められ清国代理公使を務め、日清戦争後には駐韓弁理公使も務め、在朝鮮ロシア総領事のカール・ヴェーバーと小村・ウェーバー覚書を交わした。日露戦争後には、ロシア側とのポーツマス条約を調印した。韓国併合などでも活躍した。
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