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アマゾン〔日本の偉人〕〔こ〕で始まる日本の偉人小柴昌俊(こしば まさとし) |
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小柴正敏は、幼少時には軍人か音楽家になることを夢見ていたが、12歳のとき小児まひに罹り、この夢は断念せざるをえなかった。 |
プロフィール | |
通称 | 小柴昌俊(こしばまさとし) |
本名 | 小柴昌俊(こしばまさとし) |
別名 | 研究室の学生たちからは、『親分』と呼ばれ親しまれる。 |
称号 |
1985年:ドイツ大功労十字章 〔受賞理由〕ドイツ電子シンクロトロン研究所 (DESY) における国際共同研究の業績によりドイツ連邦共和国から 1997年:文化勲章 2002年:杉並区名誉区民、明治大学名誉博士の名誉学位 2003年:勲一等旭日大綬章 2003年:東京都名誉都民 2005年:東京大学から特別栄誉教授の終身称号 |
時代 | 昭和時代・平成時代 |
生誕・生誕地 | 1926年9月19日・愛知県豊橋市 |
死没 | |
国籍 | 日本 |
言語 | 日本語 |
居住地 | 日本 |
学歴 | 東京大学 |
職業 | 物理学者・天文学者 |
分野 |
〔研究分野〕 ・素粒子物理学 ・宇宙線物理学 ・天体物理学 |
所属 | |
業績 |
〔主な業績〕 ・ニュートリノ天文学の開拓 ・超新星からのニュートリノの検出 |
処女作 | |
作品 |
『ニュートリノ天文学の誕生』 『ニュートリノ天体物理学入門』 |
受賞歴 |
1987年:仁科記念賞 1989年:日本学士院賞 1997年:フンボルト賞 2000年:ウルフ賞物理学部門 2002年:ノーベル物理学賞 〔受賞理由〕天体物理学とくに宇宙ニュートリノの検出に対するパイオニア的貢献 2003年:ベンジャミン・フランクリン・メダル |
名言 |
・日本の教育費は世界一高い。だから地方に暮らす人は東京の大学に子供をやるより安いからと、アメリカの大学に行かせたりする。これは文明国として恥ずかしい。 ・大事なのは、「自分はこれをやりたい」というものを見つけること。それが人生で一番大切なことです。 ・自分が本当にやりたいことをみつけられたら後はもう大丈夫! ・人には向き不向きがある。 ・記憶力のいい時期に詰め込んでやる。 ・メモなんかしない。忘れたら忘れたで、それだけのこと。必要なことなら、また後で思いつく。 ・自分の子供にああしろ、こうしろと言ったことはない。彼らが何に興味を持っているか、そばで見ていればわかりますからね。 ・大人はせいぜい、子供が新しいことに挑戦する練習をさせてやるくらいです。子供が助けを求めてきたら助ける。そうじゃない限り、放っておく。そういう態度も必要でしょう。 ・時間をかければいいってもんじゃない。本当にやろうと思ったことは頭から離れない。ずっと考えている。 ・アメリカでは偉い先生が間違ったことを言っても、それはおかしいと言える環境がある。しかし日本では偉い先生が間違ったこと言っても、学生は萎縮してしまい何も言えない。 ・躾の問題ですが、2、3才の頃 物心つく頃に、これはやってはいけないことなんだと言う事を身体に覚えさせた方が良いんだろうという気がしますけどね。私の考え方が古臭いのかもしれないけれど。 ・基礎科学による成果は、人類共通の貴重な知的財産です。 ・最近は子供に痛い思いをさせると言うことはあんまりしないようですね。やるといけないことだというように考えられているらしい。 ・指導者なんて、育てようと思って育つものじゃない。 ・たまたま大学受験のとき、「小柴は物理ができない」というウワサを耳にして、一念発起。猛勉強の末、東大の物理学科へ進学しました。 ・私たちを取り巻く自然の姿は、究めれば究めるほど奥が深く、常に新たな発見と可能性の連続。その素晴らしさと醍醐味を、一人でも多くの日本の若者に体感させたい。 ・今はできないけど、いつかは実らせたいと思う「卵」をいつも3つか4つ抱いて、夢をもって生きるといい。 ・100人のうち99人がこうだと言っても、1人の方が正しいことがある。 ・逃げ出すのは僕の趣味に合わない。 |
サイト | |
その他 |
〔小柴賞〕 財団法人高エネルギー加速器科学研究会では、小柴の業績を記念してその「奨励賞」に2003年度から「小柴賞」を設けた。 〔小柴ホール〕 東京大学本郷キャンパスの理学部1号館には、ノーベル賞受賞を記念し、2005年に「小柴ホール」が設置された。 〔趣味〕 クラシック音楽。モーツァルト愛好家。また、ゲームソフトの『ファイナルファンタジー』を好んでプレイしている。 |