乃木希典は、日本の武士、長府藩士であり軍人、教育者である。軍人の階級としては陸軍大将であったため「乃木大将」または「乃木将軍」などと呼ばれることも多い。出雲源氏佐々木氏の子孫と称し源希典との署名もよく用いた。 乃木は日清戦争に出征したが、乃木率いる歩兵第1旅団は、破頭山、金州、産国及び和尚島において戦い旅順要塞をわずか1日で陥落させた。乃木は、日露戦争でも戦ったが、中でも203高地の攻略、旅順要塞の陥落には多大な犠牲を伴った。乃木は長男、次男の二名を戦死させ、長い戦いの末ようやく旅順要塞は陥落した。 旅順要塞陥落後、乃木は要塞司令官ステッセリと会見した、いわゆる水師営の会見である。明治天皇は山縣有朋を通じ、乃木に対しステッセリが祖国のために頑張ったことを讃え、武人としての名誉を与えることを指示した。乃木はステッセリを極めて紳士的に扱い世界から賞賛を浴びた。
◆〔乃木希典〕のプロフィール。