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〔乃木希典〕

 

 乃木希典は、日本の武士、長府藩士であり軍人、教育者である。軍人の階級としては陸軍大将であったため「乃木大将」または「乃木将軍」などと呼ばれることも多い。

 出雲源氏佐々木氏の子孫と称し源希典との署名もよく用いた。


 乃木は日清戦争に出征したが、乃木率いる歩兵第1旅団は、破頭山、金州、産国及び和尚島において戦い旅順要塞をわずか1日で陥落させた。

 乃木は、日露戦争でも戦ったが、中でも203高地の攻略、旅順要塞の陥落には多大な犠牲を伴った。乃木は長男、次男の二名を戦死させ、長い戦いの末ようやく旅順要塞は陥落した。


 旅順要塞陥落後、乃木は要塞司令官ステッセリと会見した、いわゆる水師営の会見である。

 明治天皇は山縣有朋を通じ、乃木に対しステッセリが祖国のために頑張ったことを讃え、武人としての名誉を与えることを指示した。乃木はステッセリを極めて紳士的に扱い世界から賞賛を浴びた。


 ここで少し時を遡るが、明治時代初期、旧武士たちは果てしない苦境に立ち至ることとなり、大きな事件「西南戦争」が起こる。

 近代化を進める中央政府は明治9年3月8日に廃刀令、同年8月5日に金禄公債証書発行条例を発布した。これらは「帯刀」および「俸禄の支給」という旧武士最後の特権を奪うものであり、士族たちに精神的かつ経済的な反感をもたらした。

 各地に士族たちによる反乱が勃発することになる。明治9年10月24日には熊本県で「神風連の乱」、27日に福岡県で「秋月の乱」、28日に山口県で「萩の乱」が起こった。

 明治9年、福岡県秋月で旧秋月藩士の宮崎車之助らによる「秋月の乱」が起きた際、乃木は他の反乱士族と合流しようとする反乱軍の動きを察知し、これを挟撃して反乱軍を遁走させた。

 そして、明治10年、現在の熊本県・宮崎県・大分県・鹿児島県において、西郷隆盛を盟主にする士族による武力反乱「西南戦争」あるいは「西南の役」が勃発する。これは、明治初期に起こった一連の士族反乱の中で最大規模のもので、日本国内での最後の内戦であった。

 西南戦争での政府軍と薩軍との戦いは各地で一進一退の激戦状態で続いたが、最終的に、現在の鹿児島市中央部に位置する城山での戦いで終結する。追い詰められ撤退を余儀なくされた西郷軍はこの城山に立てこもり最後の抵抗を試みるも、圧倒的な政府軍の前に西郷隆盛は自刃に追い込まれ、他の西郷軍側将兵の多くも戦死した。時に明治10年9月24日のことであった。

 乃木は、歩兵第十四連隊将兵200名ほどを率いて、2月22日夕刻、熊本県植木町付近において薩軍との戦闘に入った。400名ほどの西郷軍との戦に苦戦し、連隊だけでこれらを突破して熊本城に入城するのは困難と判断、午後9時頃後方の千本桜まで随時後退する。

 この戦闘中に連隊旗を保持していた河原林雄太少尉が討たれ、薩軍の岩切正九郎に連隊旗を奪われてしまうという事件が起こる。薩軍は、乃木隊から奪取した連隊旗を見せびらかして気勢を上げる始末だった。

 2月25日夜、歩兵第十四連隊は第二旅団の指揮下に入り、翌26日には第一旅団と共に戦い、第十四連隊は前衛として出撃、安楽寺山付近の薩軍を撃破し田原坂を制する。しかし、薩軍の反撃を警戒した三好旅団長の命令で、田原坂を放棄し石貫まで後退する。

 この撤退により、政府軍が田原坂を再度確保するまでに、17日間の日数と3000人の将兵を失い、一日平均銃弾30万発、砲弾約1000発を消費する事になってしまった。

 3月27日、西南戦争最大の野戦となる「高瀬の戦い」が行われ、政府軍の勝利に終わる。この戦いは両軍に大きな損害を与え、乃木も負傷入院となり前線から退き久留米の軍団病院に入院する。

 4月18日、乃木は薩軍の包囲から解放された熊本城に入場、22日付で中佐に進級する。乃木は連待機を奪われたことを悔いて、自殺しようとしたが、熊本鎮台参謀副長の児玉源太郎少佐が乃木が手にした軍刀を奪い取って諫めたという。

 4月22日、乃木は熊本鎮台幕僚参謀となり第一線指揮から離れ、以後は補給などの後方業務を担当する。また、明治13年(1879年)4月29日には大佐へと昇進している。



 明治27年(1894年)8月1日、日清戦争が始まり、乃木は大山巌が率いる第2軍の下で出征する。そして、10月24日、乃木は花園口に上陸すると破頭山、金州、産国および和尚島において戦い、11月24日には旅順要塞をわずか1日で陥落させる。

 日清戦争終結間際の4月5日、乃木は中将に昇進し、宮城県仙台市に本営を置く第2師団の師団長となる。

 日露戦争開戦の直前の明治37年(1904年)2月5日、動員令が下り、乃木は留守近衛師団長、5月2日には第3軍司令官に任命される。

 日露戦争がはじまると、乃木が率いる第3軍の任務は旅順要塞の攻略であった。大将に昇進した乃木は、明治37年(1904年)6月6日、遼東半島の塩大澳に上陸する。乃木の第3軍は、多数の将兵を失う激戦の末、12月5日に203高地を陥落させる。乃木は203高地の戦いにおいて、長男と次男の二人を戦死させた。その後、ロシア軍のすべての防御線が陥落し、1905年1月1日、ロシアの永久要塞は降伏した。

 旅順要塞陥落後、明治33年(1905年)1月5日、乃木は要塞司令官ステッセリと会見する。世に言う「水師営の会見」である。会見に先立ち、明治天皇は、ステッセリが祖国のため力を尽くしたことを讃え、武人としての名誉を確保するよう命じる。

 これを受けて、乃木はステッセリに対し、極めて紳士的に接した。ステッセリらロシア軍人の武人としての名誉を重んじた。この乃木の振る舞いは、旅順要塞を攻略の武功とともに世界的に報道され賞賛された。

 乃木は、明治天皇が崩御すると、乃木自身と妻の静子の二人は天皇を慕って、殉死した。


偉人のプロフィール

〔乃木希典〕のプロフィール。

〔乃木希典〕

乃木希典の肖像・写真 
(出典:ウイキペディア)
プロフィール
通称

〔通称〕
・乃木 希典(のぎ まれすけ)

本名

〔本名〕
・乃木 希典(のぎ まれすけ)

別名

〔綽名〕
・泣き人(なきと)
・乃木大将
・乃木将軍
・農人乃木
・脱走将校(負傷して入院中の病院を脱走して軍の式に当たったため)

〔幼名〕無人(なきと)
〔改名〕
・源三
・頼時
・文蔵
・希典

・出雲源氏佐々木氏の子孫と称し、「源希典」との署名も用いた。

〔号〕
・静堂
・秀顕
・石樵
・石林子

称号

〔位階〕
・正四位
・従三位
・従二位
・贈正二位

〔勲章等〕
・勲四等旭日小綬章
・勲三等旭日中綬章
・大日本帝国憲法発布記念章
・勲二等瑞宝章
・男爵
・功三級金鵄勲章
・旭日重光章
・明治二十七八年従軍記章
・勲一等瑞宝章
・功一級金鵄勲章
・旭日桐花大綬章
・明治三十七八年従軍記章
・伯爵

〔外国勲章佩用允許〕
・プロイセン王国からプール・ル・メリット勲章
・フランス政府からレジオンドヌール勲章
・チリ政府から金製有功章
・ルーマニア国王カロル1世からルーマニア星勲章
・イギリスからバス勲章ナイト・グランド・クロス
・イギリスからロイヤル・ヴィクトリア勲章ナイト・グランド・クロス

時代

〔時代〕
・江戸時代末(幕末)~明治時代

生誕

〔生誕〕嘉永2年11月11日(1849年12月25日)
〔生誕地〕武蔵国江戸

死没

〔死没〕1912年(大正元年)9月13日)(享年64歳没)
〔没地〕東京市赤坂区(現:東京都港区赤坂)
〔墓所〕
・青山墓地
・乃木神社

国籍 日本国
言語 日本語
居住地

学歴

〔就学〕
・漢学者の結城香崖に入門、漢籍および詩文を学ぶ。さらに流鏑馬、弓術、西洋流砲術、槍術および剣術なども学び始めた。

・集童場(鍛錬道場)入門

・兵学者の玉木文之進への弟子入り、農作業を手伝う傍ら、学問の手ほどきを受けた 。集童場時代の友人らと盟約状を交わし、長府藩報国隊を組織する。

・慶応2年(1866年)、長府藩の命により、明倫館文学寮に入学

・藩命により、伏見御親兵兵営に入営、フランス式訓練法を学ぶ。

職業

〔職業〕
・日本の武士(長府藩士)
・軍人
・教育者

〔階級〕
・陸軍大将

分野

〔ジャンル〕
・大日本帝国陸軍

所属

〔所属組織〕
・大日本帝国陸軍

〔軍歴〕
・1871年~1912年

業績

〔業績〕
・日露戦争における旅順攻囲戦の指揮や、明治天皇の後を慕って殉死したことで国際的にも知られる。

・第10代学習院長に任じられ、迪宮裕仁親王(昭和天皇)の教育係も務めた。

・源三は長府藩報国隊に属し、奇兵隊の山縣有朋指揮下で戦い、山砲一門を有する部隊を率いて小倉口での戦闘(小倉戦争)に加わったが、この際、小倉城一番乗りの武功を挙げた。

・乃木は、西郷隆盛を総大将とする西南戦争で指揮官として幾多の戦いを繰り広げ、日本での最後の内戦を戦った。

・明治27年8月1日に勃発した日清戦争において、乃木は旅順要塞をわずか1日で陥落させた。

・また、明治37年2月8日に勃発した日露戦争において、旅順要塞の攻略任務をうけた乃木は、多大な犠牲を払いながらも203高地を陥落、ロシア軍を降伏させた。

作品

受賞歴

名言

〔乃木希典の名言〕

・敵将(ステッセリ)に失礼ではないか。後々まで恥を残すような写真を撮らせることは日本の武士道が許さぬ。
(水市営の会見時、何枚もの写真撮影を希望する従軍記者に対して言った言葉)

〔乃木希典の辞世〕

・神あがりあがりましぬる大君のみあとはるかにをろがみまつる。

・うつ志世を神去りましゝ大君乃みあと志たひて我はゆくなり。

サイト

その他

 乃木希典は、「乃木大将」や「乃木将軍」と呼ばれることも多く、「乃木神社」や「乃木坂」に名前を残している。