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〔蘇我馬子〕

 

 蘇我馬子は、飛鳥時代の貴族で政治家である。邸宅に島を浮かべた池があったことから嶋大臣(しまのおおきみ)とも呼ばれた。その後の時代、大化の改新の前夜〔乙巳の変(いっしのへん)〕において討たれることになる蘇我入鹿は孫である。

 敏達天皇時代に大臣となり、以降、用明天皇、崇峻天皇、推古天皇の4代に仕える。54年間に亘り権勢を振るい、蘇我氏の全盛時代を築いた。


あ行か行さ行た行な行
は行ま行や行ら行わ行
 
さしすせそ
 
〔そ〕で始まる日本の偉人

蘇我入鹿 蘇我馬子
孫正義
 
〔蘇我馬子:珠玉の名言〕
 

・私が大臣になったからには、父の願いであった仏教による国造りを実現させるのだ。

 

 敏達天皇13年(584年)百済から来た鹿深臣が石像一体、佐伯連が仏像一体を持っていた。馬子はそれらをもらい受け、司馬達等と池邊氷田に修行者を探させ、播磨国で高句麗人の恵便という還俗者を見つけ出した。

 馬子は、この恵便を師と仰ぎ、司馬達等の娘の嶋を得度させて尼とし善信尼とする。更に善信尼を導師として禅蔵尼、恵善尼を得度させる。馬子は自らも仏法に帰依し、この三人の尼を敬うとともに石川宅に仏殿を造り、仏法を広めた。


 馬子は、とてつもない策略家であり、長年の宿敵である排仏派の物部守屋と凄まじい抗争を続けることになる。

 敏達天皇14年2月(585年)、馬子は病になり、敏達天皇に奏上して仏法を祀る許可を得る。ところがこの頃、都には疫病が蔓延して多くの死者がでる。守屋は「蕃神(ばんしん:よそからきた神)を信奉したからだ」と奏上し、敏達天皇は仏法を止めるよう詔した。

 守屋は、仏教信者を罵倒し、仏殿を破壊したり、三人の尼僧を全裸で鞭打つなど迫害した。しかし、疫病はおさまらず敏達天皇も守屋も病気になってしまうと、今度は人々は「仏像を焼いた罪である」と言う。

 馬子の病気も治らず、敏達天皇に仏法を祀る許可を求めると、馬子に対してのみ許可した。馬子は三人の尼僧を拝み、新たに寺を造り、仏像を迎えて供養した。

 やがて、敏達天皇が崩御すると葬儀の場で馬子と守屋は互いに罵倒したという。

・守屋「(長い刀を差して弔辞を読む小柄な馬子へ)まるで矢に射られた雀のようだ」
・馬子「(緊張で体を震わせながら弔辞を読む守屋へ)鈴を付けたらさぞ面白かろう」

 用明天皇が即位しても、馬子と守屋の抗争はその後も延々と続いた。用明天皇2年4月(587年)、病を得た用明天皇は仏法を信仰したい欲し群臣に諮ると、守屋と中臣勝海は反対したが、馬子や多くの群臣が賛成した。守屋は群臣の多くが馬子の味方であることを悟り、河内国へ退いた。

 程なくして用明天皇が崩御すると、守屋は穴穂部皇子を皇位につけようと計ったが、馬子はこれを暗殺してしまう。馬子は群臣にはかり守屋を滅ぼすことを決意し、諸皇子、諸豪族の大軍を挙兵した。

 守屋の軍事氏族の物部氏の兵は頑強に抵抗し馬子軍を三度も撃退する。厩戸皇子(後の聖徳太子)が四天王像を彫り戦勝祈願し、馬子も寺塔を建て仏法を広めることを宣言、大攻勢をかけて、ようやく守屋を射殺し勝利する。

 馬子は泊瀬部皇子(はつせべのおうじ:母は蘇我稲目の娘)を即位させ、崇峻天皇を擁立する。政治の実験は馬子にあり、崇峻天皇は馬子を殺害することを計画し兵を招集したが、逆にそれを知った馬子に暗殺されてしまう。

 馬子は皇太后であった炊屋姫を即位させ、初の女帝である推古天皇を擁立、厩戸皇子(聖徳太子)が皇太子となり、摂政となる。

 馬子は聖徳太子と合議して政治運営し、仏教を奨励し、冠位十二階や十七条憲法を定めて中央集権化を進める。更に、遣隋使を派遣して隋の社会制度や学問を導入する。

 絶大なる政治権力を誇った蘇我馬子は、推古天皇34年(626年)死去した。馬子の葬られた桃原墓は、奈良県明日香村島之庄の石舞台古墳だとする説が有力である。



偉人のプロフィール

〔蘇我馬子〕のプロフィール。

〔蘇我馬子〕

蘇我馬子の肖像・写真 
(出典:?)
プロフィール
通称

〔通称〕
・蘇我 馬子(そが の うまこ)

本名

〔本名〕
・蘇我 馬子(そが の うまこ)

別名

〔別名〕嶋大臣(しまのおおきみ)

称号

〔称号〕
・大臣

時代

〔時代〕
・飛鳥時代

生誕

〔生誕〕不詳
〔生誕地〕

死没

〔死没〕推古天皇34年5月20日(626年6月19日)
〔没地〕
〔戒名〕
〔墓所〕

国籍 日本国
言語 日本語
居住地

学歴

職業

〔職業〕
・飛鳥時代の政治家
・貴族

分野

〔ジャンル〕
・仏教奨励
・冠位十二階
・十七条憲法

所属

〔官位〕大臣
〔主君〕
・敏達天皇
・用明天皇
・崇峻天皇
・推古天皇

〔氏族〕蘇我氏

業績

〔業績〕
・敏達天皇元年(572年)の敏達天皇の即位時に大臣(おおおみ)に任命される。

・馬子は仏法に帰依し、仏法を広めた。

・馬子は、敏達天皇や用明天皇・崇峻天皇・推古天皇に仕えたが、用明天皇以降の天皇の擁立に暗躍した。

・排仏派の物部守屋とは長年の宿敵同士であり、凄まじい抗争を続けたが最終的には守屋を滅ぼした。

・聖徳太子とともに政治運営し、仏教の奨励、冠位十二階や十七条憲法を定めることに大きく貢献した。

・遣隋使を派遣して隋の社会制度や学問を導入した。

作品

〔著作〕
 『天皇記』
 『国記』
 『臣連伴造国造百八十部并公民等本記』

 これらの著作はいずれも聖徳太子との共著である。

受賞歴

名言

〔蘇我馬子の名言〕

・私が大臣になったからには、父の願いであった仏教による国造りを実現させるのだ。

サイト

その他