冷泉為相(れいぜいためすけ)は、御子左家(みこひだりけ)の父、藤原為家、母、阿仏尼の子として生まれ、二条為氏、京極為教、為子の兄弟ほかがいる。二男四女の子を残した。 |
冷泉為相(れいぜいためすけ)は、御子左家(みこひだりけ)の父、藤原為家、母、阿仏尼の子として生まれ、二条為氏、京極為教、為子の兄弟ほかがいる。二男四女の子を残した。 |
彼は、鎌倉後期の歌人で、現在に続く冷泉家の始祖にあたる。為助は、鎌倉連歌の発展に尽くしたことで知られ、『新後撰和歌集』以下の勅撰集に六五首入集している。その歌風は平明温雅であり『為相卿千首』、家集『権中納言為相卿集』がある。 |
1275年、為相十三歳の折り、父親の為家が死去すると、播磨国細川荘の領有や文書の相続で母阿仏尼と兄為氏の間で争いとなり、長期にわたって係争が続きました。直訴のため鎌倉に下向したりした母阿仏尼が1283年に亡くなる後も相続問題が未解決のまま続きました。1313年(正和二年)になって、ようやく為相側の勝訴が確定して、相続問題は決着しています。 |
◆〔冷泉為相〕のプロフィール。 |