冷泉為相は、鎌倉後期の歌人で、現在に続く冷泉家の始祖にあたります。
為助は、鎌倉連歌の発展に尽くしたことで知られ、『新後撰和歌集』以下の勅撰集に六五首入集しています。
(出典:ウイキペディア)
その歌風は平明温雅であり『為相卿千首』、家集『権中納言為相卿集』があります。
冷泉為相(れいぜいためすけ)は、御子左家(みこひだりけ)の父、藤原為家、母、阿仏尼の子として生まれ、二条為氏、京極為教、為子の兄弟ほかがいます。二男四女の子を残しました。
御子左家における冷泉為相の先祖の系統は、藤原俊成→藤原定家→藤原為家であり、為相の祖父は、鎌倉時代初期の公家・歌人で小倉百人一首の撰者であり権中納言定家として知られるな藤原定家です。冷泉為相は、初名の為輔を後に為相に改名しています。
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