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日本の偉人

蓮如



 蓮如は、室町時代の浄土真宗の本願寺第8世を務めた僧侶で、本願寺中興の祖とされている。本願寺は、親鸞直系の寺院であるが、蓮如誕生の時代の本願寺は、青蓮院の末寺に過ぎず、衰退著しい状態にあった。

 蓮如は、滅亡寸前の本願寺を再興し、現在の本願寺教団の礎を築いたとされる偉人で、しばしば蓮如上人と称されたり、本願寺蓮如と呼ばれていす。


 蓮如は、旧暦応永22年2月25日、京都東山の本願寺で本願寺第7世存如の長子として生まれ、幼名は「布袋丸」と称していました。

 その時代、競合する佛光寺の隆盛に比して本願寺は衰退の極みにありました。永享3年、17歳の折り、青蓮院で得度し中納言広橋兼郷の猶子となり、名を「中納言兼壽」と改めています。

 その後、本願寺と姻戚関係の大和興福寺大乗院の門跡経覚について修学し、多くの聖教の書写を残しています。長禄元年(1457年)には、一族の中でいろいろなもめ事があった後に、蓮如が本願寺第8代を継職しました。とはいえ、その頃の本願寺は宗派の中心寺院の格はなく青蓮院の一末寺に転落する始末でした。

 更に、青蓮院の本寺である比叡山延暦寺との間などで極めて多くの軋轢を起こしながらこれを乗り越え、民衆の信者を増やし勢力を増してゆきました。最終的には、明応3年(1499年)3月25日、山科本願寺において85歳で示寂しました。示寂とは、菩薩や高僧の死去をいいます。

 蓮如は、布教・教義を消息(手紙)として分かりやすく説く多くの『御文』として残しています。孫の円如がこれを収集して『五帖御文』として五帖80通を纏めています。

 尚、蓮如は蓮如上人とまで称される僧侶とはいえ、女性を愛し、5人の婦人との間に、女14名、男15名、計27名のの子供をもうけている。


偉人のプロフィール 〔蓮如〕のプロフィール。
〔蓮如〕

蓮如の肖像・写真 
(出典:ウイキペディア)
プロフィール
〔通称名〕  蓮如(法名)
〔本名〕  布袋丸(幼名)
〔別名・ペンネーム〕  信證院(院号)
 兼壽(諱)
 慧燈大師(諡号)

〔称号〕  蓮如上人(尊称)
 明治天皇より「慧燈大師」の諡号を追贈されている。

〔時代〕  室町時代
〔生誕・生誕地〕  応永22年2月25日(旧暦)
 1415年4月13日(グレゴリオ暦換算)
 1415年4月4日(ユリウス暦)

〔死没・死没地〕  明応8年3月25日(旧暦)
 1499年5月14日(グレゴリオ暦換算)
 1499年5月5日(ユリウス暦)

 〔廟〕:蓮如上人廟所(京都市山科区)、大谷祖廟 (真宗大谷派)他

〔国籍〕  日本
〔言語〕  日本語
〔出生国:出身地〕  日本国:京都・大谷本願寺(現、知恩院塔頭 崇泰院)
〔居住国:居住地〕  
〔出身校・最終学歴〕  
〔職業〕  僧侶
〔ジャンル・主題〕  宗教家
〔所属・党・派〕  宗旨:浄土真宗
 宗派:後の本願寺系諸派
 寺院:吉崎御坊、山科本願寺、大坂石山御坊(後の石山本願寺)

〔活動・業績〕
〔処女作〕  
〔代表作〕  〔著作〕『御文』『正信偈大意』
〔受賞歴〕  
〔残した言葉・名言〕
〔公式サイト〕
〔その他の情報〕