良寛は、江戸時代後期の曹洞宗の僧侶であり歌人、漢詩人、書家でもある。俗名は山本栄蔵または文孝で、号は大愚と称した。彼は、越後国出雲崎の名主・橘屋であり石井神社の祠職を務める俳人でもあった父親、山本左門泰雄の長子として生まれた。 |
良寛は、江戸時代後期の曹洞宗の僧侶であり歌人、漢詩人、書家でもある。俗名は山本栄蔵または文孝で、号は大愚と称した。彼は、越後国出雲崎の名主・橘屋であり石井神社の祠職を務める俳人でもあった父親、山本左門泰雄の長子として生まれた。 |
良寛は、長子であることから、父の後を継ぐ名主見習いを始めたが、2年目の18歳の時、突如出家してしまい、幼少時に勉学を積んだ曹洞宗光照寺にて修行を積む。 |
12年後、無事修行を終えた良寛は、師が言い残した「好きなように旅をするが良い」という言葉に従って、諸国行脚を始める。良寛34歳であった。 |
◆〔良寛〕のプロフィール。 |