通称 |
〔通称〕
・遍昭(へんじょう)
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本名 |
〔本名〕
・遍昭(へんじょう)
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別名 |
〔俗名〕良岑 宗貞(よしみね の むねさだ)
〔通称〕良僧正
〔号〕花山僧正
・六歌仙および三十六歌仙の一人
・遍昭は、桓武天皇の孫。大納言良岑朝臣安世の八男。
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受賞歴 |
〔栄典〕
・従五位上
・左近衛少将
・嘉祥三(850)年に仁明天皇が崩御すると、悲嘆して出家する。円仁・円珍に師事し、仁和元(885)年に僧正となり、同年十二月には光孝天皇から七十賀を仁寿殿で賜る。
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時代 |
〔時代〕
・平安時代前期
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生誕 |
〔生誕〕弘仁7年(816年)
〔生誕地〕
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死没 |
〔死没〕寛平2年1月19日(890年2月12日)
〔没地〕
〔墓所〕京都市山科区北花山中道町
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国籍 |
日本国 |
言語 |
日本語 |
居住地 |
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学歴 |
〔学歴〕
・円仁・円珍に師事
・光孝天皇との和歌の師弟関係が推定される。
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職業 |
〔職業〕
・平安時代前期の僧
・歌人
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分野 |
〔ジャンル〕
・和歌
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所属 |
〔主君〕
・仁徳天皇
〔歴任〕
・仁明天皇の蔵人
・従五位下・左兵衛佐
・左近衛少将兼備前介
・蔵人頭
・従五位上に昇叙
・左近衛少将従五位上
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業績 |
〔業績〕
・貞観年間に京都山科に元慶寺を創建、座主となる。
・『古今和歌集』の仮名序には「歌のさまは得たれども、まことすくなし」と評する。
・『古今集』以下の勅撰集には約三十五首が入集。家集は『遍昭集(遍照集)』
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作品 |
〔和歌〕
・花山の元慶寺を建立し、貞観11年(869年)紫野の雲林院の別当を兼ねた。
・仁和元年(885年)に僧正となり、花山僧正と呼ばれるようになる。
〔歌集〕
『遍昭集(遍照集)』
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名言 |
〔遍照の名言〕
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サイト |
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その他 |
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