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日本の偉人

弁慶



 弁慶こと武蔵坊弁慶(むさしぼうべんけい)は、平安時代末期の僧衆(僧兵)であり、源義経の郎党である。弁慶は、怪力無双の荒法師として名高く、京都、五条の大橋で源義経と出会い家来となった。

 弁慶は、一時期、架空の人物と考えられたことがあるものの、現在では実在したのは確かとされるが、その出生についても活躍についても詳細は不明である。

 義経が源頼朝に追われ滅亡するまで従い、見事な立ち往生により死亡したとされている。


 弁慶は、平安末期、熊野三山別当の息子で、比叡山で暴れた末に追い出されたといわれる僧兵である。京の都の五条大橋で武者達と戦い刀を奪い取っていたが、丁度1000人目となった後の源義経となる牛若丸と戦って敗れてしまい、家来となったといわれる。

 その後、義経と共に源平合戦では勇猛果敢に戦い、平家滅亡に貢献したが、義経が源頼朝に追われ都落ちする際にも、従者として従った忠臣であった。

 平泉でいよいよ義経が追い詰められ討ち取られる戦いにおいても、追手に対し孤軍奮闘し、多数の弓矢を受けても倒れることなく立往生して果てたとされている。


実在する創作の記録 〔実在する創作の記録〕の説明。
実在する創作の記録  実在する創作の記録として、『義経記』や『吾妻鏡』『平家物語』があり、詳細は不明ながら次のような記述が残っています。

 後世になり、これら実在する記録をもとに創作された能や歌舞伎などでは、弁慶は大活躍をしており、義経と並ぶ主役格として庶民に親しまれ、絶大な人気を博しています。

 出身地とされる和歌山県田辺市では、とりわけ人気が高く、毎年〔弁慶祭り〕が行われています。

『義経記』  弁慶は、熊野別当の子で、紀伊国出身だと言われるが詳細は不明。

『吾妻鏡』  『吾妻鏡』の文治元年(1185年)11月3日の条に、京を後に都落ちする源義経に従った四人の従者たちの中に「弁慶法師」として名前を連ねています。

〔11月3日〕
 ・豫州(義経のこと)すでに西国に赴かんと欲す(中略)片岡の八郎弘綱、弁慶法師已下相従う。

〔11月6日〕
 ・豫州に相従うの輩わずかに四人。所謂伊豆右衛門の尉、堀の弥太郎、武蔵坊弁慶並びに妾女(静)一人なり。

『平家物語』  『平家物語』では、義経郎党として名があるだけで、その生涯についてはほとんど判らない。


偉人のプロフィール 〔弁慶〕のプロフィール。
〔弁慶〕

弁慶の肖像・写真 
(出典:ウイキペディア)

弁慶の肖像・写真 
(出典:ウイキペディア)
プロフィール
〔通称名〕  弁慶
〔本名〕  武蔵坊弁慶
〔別名・ペンネーム〕  弁慶法師
〔称号〕  
〔時代〕  平安末期
〔生誕・生誕地〕  生年不詳
〔死没・死没地〕  文治5年閏4月30日(1189年6月15日)

平泉町にある弁慶の墓 
平泉町にある弁慶の墓 (出典:ウイキペディア)

〔国籍〕  日本国
〔言語〕  日本語
〔出生国:出身地〕  日本国:出生地不詳
〔居住国:居住地〕  日本国:京都、他各地
〔出身校・最終学歴〕  
〔職業〕  僧衆(僧兵)
〔ジャンル・主題〕  
〔所属・党・派〕  源義経の郎党
〔活動・業績〕  
〔処女作〕  
〔代表作〕  
〔受賞歴〕  
〔残した言葉・名言〕  
〔公式サイト〕  
〔その他の情報〕 〔弁慶の七つ道具〕  『義経記』によれば、弁慶は武器として次のような七つの道具を携行していたとされ、後世では〔弁慶の七つ道具〕あるいは、単に〔七つ道具〕と呼ばれるようになりました。不思議なことに「刀」は含まれておりません。

 ・薙刀
 ・熊手
 ・大槌
 ・鋸
 ・さすまた
 ・突棒
 ・袖絡