弁慶こと武蔵坊弁慶(むさしぼうべんけい)は、平安時代末期の僧衆(僧兵)であり、源義経の郎党である。弁慶は、怪力無双の荒法師として名高く、京都、五条の大橋で源義経と出会い家来となった。 |
弁慶こと武蔵坊弁慶(むさしぼうべんけい)は、平安時代末期の僧衆(僧兵)であり、源義経の郎党である。弁慶は、怪力無双の荒法師として名高く、京都、五条の大橋で源義経と出会い家来となった。 |
弁慶は、平安末期、熊野三山別当の息子で、比叡山で暴れた末に追い出されたといわれる僧兵である。京の都の五条大橋で武者達と戦い刀を奪い取っていたが、丁度1000人目となった後の源義経となる牛若丸と戦って敗れてしまい、家来となったといわれる。 |
◆〔実在する創作の記録〕の説明。 |
実在する創作の記録 |
実在する創作の記録として、『義経記』や『吾妻鏡』『平家物語』があり、詳細は不明ながら次のような記述が残っています。 後世になり、これら実在する記録をもとに創作された能や歌舞伎などでは、弁慶は大活躍をしており、義経と並ぶ主役格として庶民に親しまれ、絶大な人気を博しています。 出身地とされる和歌山県田辺市では、とりわけ人気が高く、毎年〔弁慶祭り〕が行われています。 |
『義経記』 |
弁慶は、熊野別当の子で、紀伊国出身だと言われるが詳細は不明。 |
『吾妻鏡』 |
『吾妻鏡』の文治元年(1185年)11月3日の条に、京を後に都落ちする源義経に従った四人の従者たちの中に「弁慶法師」として名前を連ねています。 〔11月3日〕 ・豫州(義経のこと)すでに西国に赴かんと欲す(中略)片岡の八郎弘綱、弁慶法師已下相従う。 〔11月6日〕 ・豫州に相従うの輩わずかに四人。所謂伊豆右衛門の尉、堀の弥太郎、武蔵坊弁慶並びに妾女(静)一人なり。 |
『平家物語』 |
『平家物語』では、義経郎党として名があるだけで、その生涯についてはほとんど判らない。 |
◆〔弁慶〕のプロフィール。 |