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〔世界の偉人〕

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アンネ・フランク
(Annelies Marie Frank)



 アンネ・フランク(アンネリース・マリー・フランク)は、ユダヤ系ドイツ人の少女で、『アンネの日記』の著者として全世界に知られています。

 アンネは、ドイツのフランクフルト・アム・マインに生まれ、ナチスの迫害から逃れるため、一家でオランダのアムステルダムへと亡命します。やがて、オランダがドイツ軍に占領されてしまいます。


 オランダでもユダヤ人狩りが始まると、一家は父親の職場があった場所の隠れ家で移り住みました。隠れ家にはフランク一家のほかの人たちも含め、8人のユダヤ人が暮らすようになり、ここでの生活は2年間続くのですが、アンネは毎日の生活を日記に書き続けました。

 1944年8月4日、隠れ家がゲシュタポに発見され、全員が強制収容所へと移送されてしまいます。彼女は、収容所の不衛生な環境に耐えることはできず、チフスに感染して15歳にして命を落としてしまったのでした。



 隠れ家には、アンネが付けていた日記が残されていたのですが、父親オットーの会社の社員で隠れ家で暮らす人たちを支援していたミープ・ヒースという人がこの日記を発見して、戦後まで保存してくれました。

 隠れ家で暮らしていた8人の中で、戦後まで生き残った彼女の父親、オットー・フランクがこの日記を手渡されると、娘アンネの戦争と差別のない世界になってほしいという思いを全世界に伝えるために、この日記の出版を決意したのでした。

 そして、この日記は60以上の言語に翻訳され、2500万部超の世界的ベストセラーとなったのです。


偉人のプロフィール

〔アンネ・フランク〕のプロフィール。

〔アンネ・フランク〕

アンネ・フランクの写真 
(出典:wikipedia)

プロフィール
通称 アンネ
本名 アンネリース・マリー・フランク(Annelies Marie Frank)
別名

受賞歴
時代 ナチスドイツ時代
生誕 1929年6月12日:ドイツ国 フランクフルト・アム・マイン
死没 1945年3月上旬(満15歳没):ドイツ国 ベルゲン・ベルゼン強制収容所
国籍 ドイツ
言語 ドイツ語
出身地 ドイツ:フランクフルト・アム・マイン
居住地 ドイツ
オランダ アムステルダム
ドイツ:プロイセン州・ハノーファー県(ベルゲン・ベルゼン強制収容所)

学歴
職業 〔職業〕


分野
所属
業績
処女作 2年間の日記の執筆
作品 『アンネの日記』(父親が出版)
名言 〔アンネ・フランクの名言〕

 ・あなたのまわりにいまだ残されている、すべての美しいもののことを考え、楽しい気持ちでいましょう。

 ・幸せな人は誰でも、他の人をも幸せにするでしょう。

 ・薬を10錠飲むよりも、心から笑った方がずっと効果があるはず。

 ・私の想像の翼は、閉じ込められても閉じ込められても、はばたき続けるの。

 ・太陽の光と雲ひとつない青空があって、それを眺めていられるかぎり、どうして悲しくなれるというの?

 ・ほんとうに他人の人柄がわかるのは、その人と大喧嘩したときだということです。そのときこそ、そしてそのときはじめて、その人の真の人柄が判断できるんです。

サイト
その他

〔家族〕
 父:オットー・フランク
 母:エーディト・フランク