ド・ゴール大統領
|
シャルル・アンドレ・ジョゼフ・ピエール=マリ・ド・ゴールは、フランスの陸軍軍人、政治家で、フランス第18代大統領である。
第二次世界大戦においては本国失陥後ロンドンに亡命政府・自由フランスを樹立し、レジスタンスとともに大戦を戦い抜いた。
戦後すぐに首相に就任した後、1959年には大統領に就任して第五共和政を開始し、アルジェリア戦争によって混乱に陥っていたフランスを立て直した。
|
ド・モアブル
|
アブラーム・ド・モアブルはフランスの数学者である。
主な業績として〔ド・モアブルの定理〕を証明したことが知られている。
また負の二項分布、(二項分布の極限としての)正規分布、今日スターリングの公式として知られる近似式なども彼の研究成果である。
次の世代のラプラスが、モアブルの再帰級数の手続きが、ラグランジェがその後線形差分方程式の積分に用いたものと同じであると記述している。
|
ド・モルガン
|
ド・モルガンは、インド生まれのイギリスの数学者であり、いわゆる〔ド・モルガンの法則〕を発案したことで知られる。
父親がイギリス東インド会社で働いていたため、インドのマドゥライで生まれるが、生後1年もたたないうちにイングランドに戻る。
16歳でケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジに入学、ウィリアム・ヒューウェルやジョージ・ピーコックの元で学ぶ。
1828年からユニヴァーシティ・カレッジ(現ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン)の教授を務めた。
|
トーマス・マン
|
トーマス・マンはドイツの小説家である。当初は実科を学んだが処女小説『転落』が認められて文筆を志し、1901年に自身の一族の歴史をモデルとした長編『ブッデンブローク家の人々』で名声を得る。
その後市民生活と芸術との相克をテーマにした『トーニオ・クレーガー』『ヴェニスに死す』などの芸術家小説や教養小説の傑作『魔の山』を発表し、1929年にノーベル文学賞を受賞した。
1933年にナチスが政権を握ると亡命し、スイスやアメリカ合衆国で生活しながら、聖書の一節を膨大な長編小説に仕立てた『ヨセフとその兄弟』、ゲーテに範を求めた『ワイマルのロッテ』『ファウストゥス博士』などを発表する。
|
ドガ
|
エドガー(エドガール)・ドガは、フランスの印象派の画家、彫刻家である。
ドガの代表作には、『室内(強姦)』や『オペラ座のオーケストラ』『三人の踊り子』『ニューオーリンズの綿花取引所』『ロンシャンの競馬』『ダンス教室(バレエ教室)』『舞台のバレエ稽古』『アブサン』 『踊りの花形』『14歳の小さな踊り子』『アイロンをかける2人の女』『浴盤』などがある。
|
ドストエフスキー
|
フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキーは、ロシアの小説家・思想家である。実存主義の先駆者と評されることもある。
代表作は『罪と罰』、『白痴』、『悪霊』、『カラマーゾフの兄弟』など。レフ・トルストイ、イワン・ツルゲーネフと並び、19世紀後半のロシア小説を代表する文豪である。
その著作は、当時広まっていた理性万能主義(社会主義)思想に影響を受けた知識階級(インテリ)の暴力的な革命を否定し、キリスト教、ことに正教に基づく魂の救済を訴えているとされる。
|
ドップラー
|
ドップラーは、オーストリアの物理学者・数学者・天文学者である。
1842年、運動する振動源と観測者との相対運動によって、観測される振動数が変化する現象を研究して、〔ドップラー効果〕と呼ばれる数学的関係式を導いた。
1845年、オランダの化学者・気象学者クリストフ・ボイス・バロットが、列車に乗ったトランペット奏者にGの音を吹き続けさせ、それを絶対音感を持つ音楽家に車外で聴かせ音程の変化を確認させて証明した。
|
ドビュッシー
|
クロード・アシル・ドビュッシーは、フランスの作曲家である。長音階・短音階以外の旋法と、機能和声にとらわれない自由な和声法などとを用いて独自の作曲を実行した。
ドビュッシーの音楽は、代表作『海』や『夜想曲』などにみられる特徴的な作曲技法から、「印象主義音楽(印象派)」と称されることもある。
またテクスト(詞)やテーマの選択は象徴派(象徴主義)からの影響が色濃いと目されることもあるのだという。
|
ドボルザーク
|
アントニン・レオポルト・ドヴォルザークは、後期ロマン派におけるチェコの作曲家であり、チェコ国民楽派を代表する作曲家である。ブラームスに才能を見いだされ、『スラヴ舞曲集』で一躍人気作曲家となった。
スメタナとともにボヘミア楽派と呼ばれる。その後、アメリカに渡り、音楽院院長として音楽教育に貢献する傍ら、ネイティブ・アメリカンの音楽や黒人霊歌を吸収し、自身の作品に反映させている。
代表作に、弦楽セレナード、管楽セレナード、ピアノ五重奏曲第2番、交響曲第7番、交響曲第8番、交響曲第9番『新世界より』、スラヴ舞曲集、この分野の代表作でもあるチェロ協奏曲、『アメリカ』の愛称で知られる弦楽四重奏曲第12番などがある。
|
トマス・アクィナス
|
トマス・アクィナスは、中世ヨーロッパ、イタリアの神学者、哲学者である。シチリア王国出身でドミニコ会士であった。
『神学大全』で知られるスコラ学の代表的神学者として知られる。
カトリック教会と聖公会では聖人、カトリック教会の33人の教会博士のうちの1人とされる。
|
ドラクロワ
|
ドラクロワは、パリ近郊のシャラントンに生まれた、フランスでの19世紀ロマン主義を代表する巨匠である。
代表作に『民衆を率いる自由の女神』や『ダンテの小舟』『キオス島の虐殺』『墓場の少女』など多数があり、中でも『民衆を率いる自由の女神』は極めて有名である。
その他の作品では『ミソロンギの廃墟に立つギリシア』『異端者とハッサンの戦い』『サルダナパールの死』『リエージュ司祭の暗殺』『民衆を導く自由の女神』『母虎と戯れる子虎』『アルジェの女たち』『フレデリック・ショパンの肖像』『ハムレットとホレイショー』『モロッコのスルタン』など多数がある。
|
トリチェリ
|
トリチェリは、ガリレオ・ガリレイの弟子であり、イタリアの物理学者である。ファエンツァに生まれ、ローマに出て最初は数学者ベネデット・カステリの秘書をした。
1641年からはガリレイの弟子となり、ガリレイの死まで研究をともにした。
その後はトスカーナ大公フェルディナンド2世に数学者・哲学者として招かれて、ピサ大学の数学の教授に任命された。1647年、腸チフスのため39歳の若さで没した。
|
トルーマン大統領
|
トルーマンは、アメリカ合衆国の政治家である。上院議員、第34代副大統領、第33代大統領を歴任した。フランクリン・ルーズベルト大統領の死を受けて1945年に副大統領から大統領に昇格している。
第二次世界大戦の終了から冷戦の始まり、国際連合、CIA、NSA、ペンタゴン(国防総省)の創設および朝鮮戦争などに関与した。
|
トルストイ
|
トルストイは、帝政ロシアの小説家、思想家である。フョードル・ドストエフスキー、イワン・ツルゲーネフと並んで19世紀ロシア文学を代表する文豪として知られる。
代表作に『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』『復活』『イワンの馬鹿』『人生論』などがある。
文学のみならず、政治・社会にも大きな影響を与えた。非暴力主義者としても知られる。
|
ドルトン
|
ドルトンは、イギリスの化学者、物理学者ならびに気象学者であり、原子説を提唱したことで知られる。ドルトンの法則の発見者としても知られる。
また、自分自身と親族の色覚を研究し、自らが先天色覚異常であることを発見したことによって、ドルトニズムの語源となった。
|
ドレイク
|
フランク・ドレイクは、イリノイ州シカゴ生まれのアメリカ合衆国の天文学者・天体物理学者である。世界で最初の SETIである〔オズマ計画〕を実施した。
1961年、全米科学アカデミー宇宙科学委員会の役員であった J. Peter Pearman と共に、ウェストバージニア州グリーンバンクのアメリカ国立電波天文台(NRAO)で、最初の SETI(地球外知的生命体探索)に関する会議を開催した。
わずか12人の科学者が集められたこの会議の中で、彼は後に有名となるドレイクの方程式を提案した。
|
トロツキー
|
トロツキーは、ウクライナ生まれのソビエト連邦の政治家、ボリシェヴィキの革命家、マルクス主義思想家である。
1917年のロシア十月革命における指導者の1人であり、ウラジーミル・レーニンに次ぐ中央委員会の一員であった。
赤軍の創設者および指揮官として、ソビエト連邦の初期の頃には外務人民委員(外相)として外交問題を担当し、ソ連共産党政治局員の1人でもあった。
1920年代、政策を巡って政治局内の多数派と対立、「左翼反対派」を結成したが、権力闘争に敗れたトロツキーはソ連共産党を除名された。
メキシコに亡命したトロツキーは第四インターナショナルを結成し、官僚制に反対し続けたが、1940年、スターリンの刺客ラモン・メルカデルによって同地で暗殺された。
|