アンネ・フランク(アンネリース・マリー・フランク)は、ユダヤ系ドイツ人の少女で、『アンネの日記』の著者として全世界に知られています。
アンネは、ドイツのフランクフルト・アム・マインに生まれ、ナチスの迫害から逃れるため、一家でオランダのアムステルダムへと亡命します。
(出典:wikipedia)
やがて、オランダがドイツ軍に占領されてしまいます。
オランダでもユダヤ人狩りが始まると、一家は父親の職場があった場所の隠れ家で移り住みました。隠れ家にはフランク一家のほかの人たちも含め、8人のユダヤ人が暮らすようになり、ここでの生活は2年間続くのですが、アンネは毎日の生活を日記に書き続けました。
1944年8月4日、隠れ家がゲシュタポに発見され、全員が強制収容所へと移送されてしまいます。彼女は、収容所の不衛生な環境に耐えることはできず、チフスに感染して15歳にして命を落としてしまったのでした。
隠れ家には、アンネが付けていた日記が残されていたのですが、父親オットーの会社の社員で隠れ家で暮らす人たちを支援していたミープ・ヒースという人がこの日記を発見して、戦後まで保存してくれました。
隠れ家で暮らしていた8人の中で、戦後まで生き残った彼女の父親、オットー・フランクがこの日記を手渡されると、娘アンネの戦争と差別のない世界になってほしいという思いを全世界に伝えるために、この日記の出版を決意したのでした。
そして、この日記は60以上の言語に翻訳され、2500万部超の世界的ベストセラーとなったのです。
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