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ヨーロッパ圏の偉人

フランスの偉人

 



国別世界の偉人リスト

アンペール
 アンドレ=マリ・アンペールは、フランスの物理学者・数学者です。

 電磁気学の創始者のひとりであり、〔アンペールの法則〕の発見者です。

 彼は、若年にして当時の数学の研究成果をマスターしていたとされ、更に読書好きで歴史や紀行、詩、哲学、自然科学一般を幅広く学んでいました。

ヴィクトル・ユーゴ
 ヴィクトル・ユーゴーは、19世紀のフランス・ロマン主義の詩人であり小説家、政治家です。

 軍人である父親と資産家の娘である母親から生まれましたが、彼は波乱に富んだ人生を送ったことで知られていています。

 政治家としてはさしたる業績はなかったものの作家としては無数の作品を残して大成功をおさめました。代表作に『レ・ミゼラブル』があります。

ヴォルテール
 ヴォルテールは、フランスの哲学者であり、作家、文学者、歴史家でです。

 歴史的には、啓蒙主義を代表する人物とされ、ジャン・ル・ロン・ダランベールなどとともに百科全書派の学者の一人として活躍しました。

 彼の、ヴォルテールという名は一種のニックネーム、あるいはペンネーム的なもので、本名はフランソワ=マリー・アルエといいます。

ガレ
 ガレは、アール・ヌーヴォーを代表するフランスのガラス工芸家、陶器・家具のデザイナー、アートディレクター、企業経営者である。

 エミール・ガレは、1846年、ファイアンス焼き工場の息子としてフランスのロレーヌ地方、ナンシーで誕生した。

 1878年以降のパリ万博に大量のガラス工芸品などを出品し、グランプリ賞などを多数獲得して世界的に有名となる。

ガロア
 エヴァリスト・ガロアは、フランスの天才的数学者であり革命家です。

 優れた数学的才能を発揮し、10代にして〔ガロア理論〕と呼ばれることになる群論や体論の先駆的研究を行いました。

 ガロア理論により、方程式が代数的解の表示を有するかについて完璧な理論を構築しました。

クーベルタン
 クーベルタンは、一般にはピエール・ド・クーベルタン男爵とも呼ばれるフランスの教育者である。

 彼は、秘密結社フリーメイソンのメンバーであり、近代オリンピックの創立者として知られる。

 歴史書のオリュンピアの祭典に感銘を受け、「ルネッサンス・オリンピック」の演説の中で近代オリンピックを提唱した。

クリスチャン・ディオール
 クリスチャン・ディオールは、フランスのファッションデザイナーである。

 主に、1950年代に活躍し、ファッションブランド「クリスチャン・ディオール」を創立した。世界ブランドに成長したこのブランドは、単に「ディオール」と呼ばれることも多い。

 〔〇〇〇・ライン〕のように名付けた数多くのデザインを発表し、ファッション世界を魅了し続けている。

ゲイ・リューサック
 ゲイ・リュサックは、フランスの化学者・物理学者である。

 1802年、気体の体積が温度上昇に比例して膨張するという〔ゲイ=リュサックの法則〕を発表した。

 1827年、硫酸合成の鉛室法を改良し、鉛室で生成した窒素酸化物を回収するため、鉛室の後段に接続するゲイ=リュサック塔を考案した。

ゴーギャン
 ポール・ゴーギャンは、フランスのポスト印象派に属する画家で、1848年、二月革命の年にパリに生まれた。通常は単に「ゴーギャン」と呼ばれることが多いが、「ゴギャン」「ゴーガン」とも呼ばれる。

 彼は幼少時の数年間をペルーで過ごしスペイン語で育ったが、7歳の時にフランスに戻りフランス語も修得する。14歳の時にパリの海軍予備校に入った。最終学年にオルレアンに戻ってリセ・ジャンヌ・ダルクを修了し、商船の水先人見習いとして登録した。

 23歳の時にパリ証券取引所に入り、株式仲買人となり11年間勤務し、実業家として成功したほか、絵画取引でも多くの収入を得るようになる。

 当時のヨーロッパでは、ジャポニズムなど他文化への関心が高まっていた時代であり、ゴーギャンは日本の浮世絵の影響も受ける。世界各地を訪問したりして、多くの絵画を残した。

コーシー
 コーシーは、フランスの数学者で、解析学分野で多くの業績を残したことから、〔フランスのガウス〕と呼ばれることもある。

 コーシーは、解析学分野での厳密主義を構築した偉大な数学者である。

〔コーシーの積分定理〕や〔コーシーの平均値の定理〕〔コーシー・リーマンの関係式〕などに名を残している。

 また、数学以外にも、天文学・光学・流体力学などでの貢献も多い。

サド
 サドは、フランス革命期の貴族、小説家で、フルネームはマルキ・ド・サドである。

 サドの書く小説は、極めて暴力的なポルノグラフィーを含み、法律や道徳や宗教などの一切の制約を受けることがない。その作品は、人間個人の肉体的快楽を徹底的に追及し、放蕩ともいえる。

 彼は、虐待と放蕩の故に、パリの刑務所や精神病院をはじめ、数十年のあいだ多くの牢獄や病院で過ごした。サドの作品の多くは獄中で書かれている。彼は「サディズム」という言葉にその名を残している。

サマセット・モーム
 サマセット・モームは、フランス パリ生まれのイギリスの小説家、劇作家である。

 彼は、10歳で孤児となり、イギリスに渡った。医師であり、第一次世界大戦では軍医、諜報部員として従軍している。1919年に発表した『月と六ペンス』で一躍、人気作家となった。

 代表作には『月と六ペンス』の他に、『人間の絆』『お菓子とビール』『手紙』や『シェピー』『報いられたもの』『聖なる炎』などがあり、短編に「雨」「赤毛」、戯曲「おえら方」などがある。

サルトル
 サルトルは、フランスの哲学者・小説家・劇作家である。強度の斜視があり、1973年には右目を失明している。

 内縁の妻、シモーヌ・ド・ボーヴォワールとは、結婚関係を維持しつつお互いの自由恋愛を保障するという前衛的な、契約結婚を結び、〔サルトルとボーボワールの関係〕などと呼ばれた。

 サルトルには非常に多くの哲学著作や小説、戯曲などがあるが、代表作には『水いらず』『嘔吐』『存在と無』などがある。

シャガール
 シャガールは、1887年7月7日、帝政ロシア領ヴィテブスクで、9人兄弟の長男として生まれた、20世紀のフランスの画家である。

 彼は、生涯をとおして妻ベラを一途に敬愛していた。また、ベラへの愛や結婚をテーマとした多く作品を残したことから別名「愛の画家」と呼ばれる。

ジャンヌ・ダルク
 15世紀のフランス王国の軍人・女性騎士。フランスの国民的ヒロインで、カトリック教会における聖人。「オルレアンの乙女」とも呼ばれる。

 農夫の娘として生まれたが、神の啓示によりフランス軍に入隊し、イングランドとの百年戦争で果敢に戦い勝利を収めた。

 イングランドと通じていたボーヴェ司教ピエール・コーションにより「不服従と異端」のかどで異端審問にかけられ異端判決を受け、19歳で火刑に処せられた。

シャンポリオン
 シャンポリオンは、フランスの古代エジプト学の研究者です。

 歴史上、極めて重要な〔ロゼッタ・ストーン〕を解読し、古代エジプト象形文字である〔ヒエログリフ〕を解明しました。

 この業績により、しばしば〔古代エジプト学の父〕と称されています。

シュヴァイツァー
 シュヴァイツァーは、ドイツ出身のフランス アルザス人で、ドイツ系の神学者・哲学者・医者・オルガニスト・音楽学者である。20世紀の著名なヒューマニストとして知られる。

 彼は裕福な家庭で生まれ育ったが、30歳のとき医療と伝道に生きると決意し、アフリカ赤道直下の国、ガボンのランバレネで住民への医療などに生涯を捧げた。「密林の聖者」とも称される。

 哲学分野でも業績を残し、「人間をはじめ、生命をもつあらゆる存在を敬い、大切にすること」を「生命への畏敬」の概念として唱え、世界平和に貢献した。また、音楽ではバッハ研究でも知られる。

ショパン
 ショパンは、1810年3月1日、ワルシャワ公国のジェラゾヴァ・ヴォラで生まれた、ポーランドの前期ロマン派音楽を代表する作曲家である。またピアノの名手であり、「ピアノの詩人」とも称された。

 作品の多くはピアノ独奏曲で、様々な形式、美しい旋律、半音階的和声法などによって、ピアノの表現形式の新たな分野をひらいた。

 彼の作曲したノクターンやワルツなどのピアノ曲は、クラシック音楽ファン以外の一般人にもよく知られている。

スタンダール
 スタンダールは、フランスで、グルノーブル高等法院の弁護士の子として生誕した小説家である。

 幼少期は、裕福な地方名士の子として過ごしたが、7歳のとき異常なほどに慕っていた母親を失う。実務家で王党派の父親を生涯を通して好きにはなれなかった。

 自由主義者として過ごしたスタンダールの代表作には、『恋愛論』や『赤と黒』『リュシアン・ルーヴェン』『パルムの僧院』などがある。

ダランベール
 ダランベールは、18世紀フランスの哲学者、数学者、物理学者である。

 ドゥニ・ディドロらと並び、百科全書派知識人の中心者として知られる。

デカルト
 ルネ・デカルトは、フランス生まれの哲学者、数学者である。合理主義哲学の祖であり、近世哲学の祖として知られる。

 数学では、点の座標を表すのに、いわゆるデカルト座標を考案し、後世の数学に大きな影響を与えた。

 欺く神・ 悪い霊を否定し、誠実な神を見出すために、デカルトは神の存在証明を行ったことで知られる。

ド・ゴール大統領
 シャルル・アンドレ・ジョゼフ・ピエール=マリ・ド・ゴールは、フランスの陸軍軍人、政治家で、フランス第18代大統領である。

 第二次世界大戦においては本国失陥後ロンドンに亡命政府・自由フランスを樹立し、レジスタンスとともに大戦を戦い抜いた。

 戦後すぐに首相に就任した後、1959年には大統領に就任して第五共和政を開始し、アルジェリア戦争によって混乱に陥っていたフランスを立て直した。

ド・モアブル
 アブラーム・ド・モアブルはフランスの数学者である。

 主な業績として〔ド・モアブルの定理〕を証明したことが知られている。

 また負の二項分布、(二項分布の極限としての)正規分布、今日スターリングの公式として知られる近似式なども彼の研究成果である。

 次の世代のラプラスが、モアブルの再帰級数の手続きが、ラグランジェがその後線形差分方程式の積分に用いたものと同じであると記述している。

ドガ
 エドガー(エドガール)・ドガは、フランスの印象派の画家、彫刻家である。

 ドガの代表作には、『室内(強姦)』や『オペラ座のオーケストラ』『三人の踊り子』『ニューオーリンズの綿花取引所』『ロンシャンの競馬』『ダンス教室(バレエ教室)』『舞台のバレエ稽古』『アブサン』 『踊りの花形』『14歳の小さな踊り子』『アイロンをかける2人の女』『浴盤』などがある。

ドビュッシー
 クロード・アシル・ドビュッシーは、フランスの作曲家である。長音階・短音階以外の旋法と、機能和声にとらわれない自由な和声法などとを用いて独自の作曲を実行した。

 ドビュッシーの音楽は、代表作『海』や『夜想曲』などにみられる特徴的な作曲技法から、「印象主義音楽(印象派)」と称されることもある。

 またテクスト(詞)やテーマの選択は象徴派(象徴主義)からの影響が色濃いと目されることもあるのだという。

ドラクロワ
 ドラクロワは、パリ近郊のシャラントンに生まれた、フランスでの19世紀ロマン主義を代表する巨匠である。

 代表作に『民衆を率いる自由の女神』や『ダンテの小舟』『キオス島の虐殺』『墓場の少女』など多数があり、中でも『民衆を率いる自由の女神』は極めて有名である。

ナポレオン
 ナポレオンは、フランス革命期の軍人・政治家で、革命後の混乱を収拾して、軍事独裁政権を樹立した。

 ナポレオン1世としてフランス第一帝政の皇帝にも即位した。

 いわゆるナポレオン戦争において、幾多の戦勝を重ね、イギリスとオスマン帝国の領土を除くヨーロッパ大陸の大半を制覇したが、最終的には敗北し失脚した。

ニコラ・ブルバキ
 ニコラ・ブルバキは、1939年から1998年にかけて、フランスで活動した偉大な数学者である。『数学原論』という7千ページにもおよぶ膨大な数学書を著わしたことで知られる。

 しかし、実は、彼は架空の数学者であり、主にフランスの若手数学者集団のペンネームである。

 当初、ブルバッキは秘密結社のように活動していて、しばらくの間は、その実像を知られることがなかったという。

パスカル
 ブレーズ・パスカルは、フランスの哲学者であり自然哲学者・思想家・数学者・キリスト教神学者です。早熟の天才であり、近代的物理学の先駆的業績を残した他、多くの分野に業績を残しました。

 早逝したために、自身の目標とした書物のために書き残した断片的なノートが死後になって、遺稿集『パンセ』として出版されています。

 遺稿集『パンセ』には、パスカルの残した「人間は考える葦である」をはじめとする多数の名文句や〔パスカルの賭け〕などの多数の有名な思弁が含まれています。

パスツール
 パスツールは、フランスの生化学者、細菌学者である。ロベルト・コッホとともに、「近代細菌学の開祖」とされる。

 「科学には国境はないが、科学者には祖国がある」という言葉でも知られる。王立協会外国人会員である。

 彼は、分子の光学異性体を発見し、牛乳、ワイン、ビールの腐敗を防ぐ低温での殺菌法(パスチャライゼーション・低温殺菌法とも)を開発した。

 またワクチンの予防接種という方法を開発し、狂犬病ワクチン、ニワトリコレラワクチンを発明している。

バルザック
 バルザックは、19世紀フランスを代表する小説家である。彼の代表作には、『ウージェニー・グランデ』や『ゴリオ爺さん』『谷間の百合』『幻滅』『娼婦たちの栄光と悲惨』などがある。

 イギリスの作家サマセット・モームは、『世界の十大小説』のなかで、バルザックを「確実に天才とよぶにふさわしい人物」と述べている。

 バルザックは90篇の長編・短編からなる小説群『人間喜劇』を執筆した。これは19世紀ロシア文学(ドストエフスキー、レフ・トルストイ)のさきがけとなった写実的小説群とされる。

ピエール・カルダン
 ピエール・カルダンは、フランスのファッションデザイナーである。前衛的なスタイルでオートクチュールのブランドを立ち上げ、1960年代?1970年代に一世を風靡した。

 1950年、自らのアトリエを開始し、1953年にはオート・クチュールも始めた。アバンギャルドなスタイルで、宇宙時代的(コスモ・コール)なデザインで有名となる。幾何学模様や形を好み、女性的な形状を無視することも多かった。

 1959年には百貨店プランタン向けにプレタポルテのコレクションを発表し、新しい時代の流れをつくった。1971年には自らの作品を発表する場として、パリに「エスパス・カルダン」を開き、その他の芸術の発表の場にも使用した。

 1991年よりユネスコ親善大使として、チェルノブイリ被害者救済とその他の人道的プログラムにも尽力している。各国より数々の勲章等を受勲、日本では勲二等瑞宝章を受勲している。

ビゼー
 ジョルジュ・ビゼーは、19世紀フランスの作曲家である。

 ビゼーは、オペラやオペレッタ、劇付随音楽、管弦楽曲、合唱曲、ピアノ曲、歌曲などの分野で多くの作品を残している。

 代表作には、『カルメン』『アルルの女』『真珠採り』『小さな木の実』などがある。

ファーブル
 フランスの生物学者。昆虫研究に一生を捧げ、研究成果を有名な『昆虫記』として発表している。

 ファーブルは、自らの研究体験から、ダーウィンの進化論に対しては批判的だったとされる。

フーリエ
 フーリエ男爵は、フランスの数学者・物理学者である。「フーリエ変換」に名を残している。

 固体内での熱伝導に関する研究から熱伝導方程式(フーリエの方程式)を導き、これを解くためにフーリエ解析と呼ばれる理論を展開した。

 フーリエ解析は複雑な周期関数をより簡単に記述することができるため、音や光といった波動の研究に広く用いられ、現在調和解析という数学の一分野を形成している。

 このほか、方程式論や方程式の数値解法の研究があるほか、次元解析の創始者と見なされることもある。また統計局に勤務した経験から、確率論や誤差論の研究も行った。

フェルマー
 フェルマーは、はフランスの数学者で、〔数論の父〕とも呼ばれている。

 フェルマーは、1607年頃、農民が空腹と貧困で一揆を起こしていた時代に小さな農村で生まれた。

 彼は、トゥールーズで弁護士の資格を取得し法律家として一生を過ごしたが、トゥールーズの請願委員や議会の勅撰委員でもあった。

 後世有名になる数論の難題〔フェルマーの最終定理〕を提唱したことで知られる。

ポアソン
 ポアソンは、ポアソン分布・ポアソン方程式などで知られるフランスの数学者、地理学者、物理学者である。

 1808年と1809年にポアソンは、主要業績とされる幾つかの論文をフランス科学アカデミー会報に発表した。

 1808年の Sur les inegalites des moyens mouvement des planetes では惑星の運動を取り扱い、ラプラスとラグランジェの提出した問題への解答を試みた。

 1818年にロンドン王立協会のフェローに選出され、1832年にはコプリ・メダルを贈られている。

ポアンカレ
 ポアンカレは、フランスの数学者で、数学や数理物理学、天体力学などの重要な基本原理を確立し、功績を残した。

 位相幾何学の分野では、トポロジー概念の発見や、ポアンカレ予想など、重要な活躍をしている。

 また、フックス関数と非ユークリッド幾何学との結びつきについての数学的な発見をした際に、その過程の詳しい叙述を残して、その後の数学研究の心理学的側面の研究にも影響を与えた。

 電子計算機がない時代にカオス的挙動について言及した点でも特筆され、後に「バタフライ効果」と呼ばれる予測不能性などが著書の中で触れられている。

ボードレール
 ボードレールは、パリ生まれのフランスの詩人、評論家である。成人する頃からは、後に『悪の華』に収録することになる多くの詩作を行う。ヴィクトル・ユーゴーやサント・ブーヴ、テオフィル・ゴーティエと知遇する。

 23歳時には、禁治産者として弁護士の監視下に置かれ、売文の必要に迫られる。24歳の頃自殺未遂事件を起こすが、美術批評、文芸批評などをするようになり、25歳では批評家として名を高める。

 27歳頃、政治熱にかられるが、30歳の頃には熱も冷める。

マティス
 マティスは、フランスの画家である。野獣派のリーダ-的存在であり、野獣派の活動が短期間で終わった後も20世紀を代表する芸術家の一人として活動を続けた。

 自然をこよなく愛し「色彩の魔術師」と謳われ、緑あふれる世界を描き続けた画家であった。彫刻および版画も手がけている。

 マティスの絵画や切り紙絵の代表作には次のようなものがある。

『ブーローニュの森』
『豪奢、静寂、逸楽』
『緑のすじのあるマティス夫人の肖像』
『赤のハーモニー』
『ダンスI』
『画家の娘』

マリー・アントワネット
 フランス国王ルイ16世の王妃。1789年、フランスでは王政に対する民衆の不満が爆発してフランス革命が勃発した。

 彼女の恩寵を受けた貴族たちの多くは、彼女を見捨てて亡命してしまい、彼女もオーストリアに亡命中の兄レオポルト2世に救助を求めようと計画し実行したが、国境近くで捕縛されパリへ連れ戻される。

 革命裁判で夫ルイ16世がギロチンでの斬首刑とされ、やがて彼女も同罪となりギロチンの露と消えた。

ミレー
 ミレーは、19世紀のフランスの画家である。1814年、ノルマンディー地方マンシュ県の海辺にあるグリュシーという小さな村に、8人兄弟の長男として生まれた。

 ミレーは、19歳の時、グリュシーから十数km離れたシェルブールの街で絵の修業を始めた。1837年、22歳の年にパリへ出て、当時のアカデミスムの巨匠であったポール・ドラローシュに師事して、デッサンや模写のほか、聖書や神話など画題となる古典文学なども学ぶ。

 26歳の時、肖像画がサロン(官展)に初入選する。奨学金が停止されていたため生活に困窮し、肖像画や裸体画や神話画などを多く手がけている。

 ミレーの代表作には、次のものなどがある。

 『落穂拾い』
 『種まく人』
 『晩鐘』
 『春』
 『春』
 『古い塀』
 『グレヴィルの断崖』

メシエ
 メシエは、フランスの天文学者である。

 星雲や星団・銀河に番号を振り、『メシエカタログ』を作成したことで知られている。

 メシエカタログに掲載された星雲や星団・銀河にはメシエを意味する〔M〕の文字の後に1番から番号がふられ、全部で103個ある。

 彼の望遠鏡は小型だったため、これらの天体には、星雲以外に、星団・銀河も含まれていることが判明している。

メルセンヌ
 メルセンヌは、フランスの神学者であるが、数学、物理学に加え哲学、音楽理論の研究者でもあった。「メルセンヌ数(メルセンヌ素数)」という数学上の言葉に名を残している。

 メルセンヌは、2n ? 1 が素数になるのは、n ? 257 では、n = 2, 3, 5, 7, 13, 17, 19, 31, 67, 127, 257 だけであると主張した。

 しかし、実際にはリスト以外のn = 61, 89, 107も素数であり、リスト内のn = 67, 257の場合は素数ではなく合成数であることが後にオイラー、ルーカス、パヴシン等により証明された。

 2n ? 1の形で書き表せる自然数をメルセンヌ数といい、また素数である場合は特にメルセンヌ素数と呼ぶ。2014年11月現在、48個のメルセンヌ素数が発見されている。

モーパッサン
 モーパッサンは、フランスの自然主義の作家、劇作家、詩人である。『女の一生』などの長編6篇、『脂肪の塊』などの短篇約260篇、ほかを遺した。

 20世紀初期の日本の作家にも、大きな影響を与えた。

 モーパッサンの作品は非常に多く、長編小説、短編集、短編、戯曲、詩・詩集、旅行記など多岐にわたっている。

モネ
 クロード・モネは、印象派を代表するフランスの画家である。「光の画家」の別称があり、時間や季節とともに移りゆく光と色彩の変化を生涯にわたり追求した画家であった。

 モネは印象派グループの画家のなかでは最も長生きし、20世紀に入っても『睡蓮』の連作をはじめ多数の作品を残している。

 モネは終生印象主義の技法を追求し続けた、もっとも典型的な印象派の画家であった。モネの代表作には、『印象・日の出』や『キャピュシーヌ大通り』『ラ・ジャポネーズ』『積みわら』『ポプラ並木』『ルーアン大聖堂』などがある。

モンテーニュ
 モンテーニュは、16世紀ルネサンス期のフランスを代表する哲学者であり、モラリスト、懐疑論者、人文主義者として知られる。

 現実の人間を洞察し人間の生き方を探求して綴り続けた主著『エセー』は、フランスのみならず、各国に影響を与えた。

モンテスキュー
 モンテスキューは、フランスの哲学者である。本名は、シャルル=ルイ・ド・スゴンダで、ラ・ブレードとモンテスキューを領地とする男爵でもあった。

 モンテスキューには多くの著作があるが、日本語化された作品には次のものがある。

 『ペルシア人の手紙』
 『ローマの隆盛と衰退の原因についての考察』
 『ローマ人盛衰原因論』
 『法の精神』

ラヴォアジェ
 ラヴォアジエは、フランス王国パリ出身の化学者、貴族である。質量保存の法則を発見、酸素の命名、フロギストン説を打破したことから「近代化学の父」と称される。

 1774年に体積と重量を精密にはかる定量実験を行い、化学反応の前後では質量が変化しないという質量保存の法則を発見した。

 当時の燃焼に関する支配的説は、〔フロギストン説〕と呼ばれ、「燃焼は一種の分解現象でありフロギストンが飛び出すことで熱や炎が発生する」とのものであった。

 1774年にラヴォアジェはこの説を否定し、「燃焼は酸素との結合である」ことを唱えた最初の人物となった。この際、酸素を「オキシジェーヌ(oxygene)」と命名した。

ラプラス
 ラプラスは、フランスの数学者・物理学者・天文学者である。

 彼は、典型的な決定論者であり、これから起こる全ての現象は、それ以前に起きたことに起因すると考えた。

 宇宙に存在する全ての粒子の現時点の運動状態が分かれば、今後の全ての現象は計算可能であるというものである。

 このような概念は、〔ラプラスの悪魔〕とか〔ラプラスの魔〕〔ラプラスの魔物〕と呼ばれている。

ルジャンドル
 ルジャンドルは、フランス王国のパリ出身の数学者である。

 研究分野である統計学や数論・代数学・解析学で様々な功績を残した。

 中でも、整数論や楕円積分に大きく貢献した。

 また、ルジャンドルは、フェルマーの最終定理の n=5 の場合を証明したことで知られる。

ルノワール
 ルノワールは、フランスの印象派の画家である。後期から作風に変化が現れ始めたので、まれにポスト印象派の画家とされることもある。

 ルノワールは、初期にはアングル、ドラクロワなどの影響を受け、モネらの印象主義のグループに加わる。後年は古典絵画の研究を通じて画風に変化が見られ、晩年は豊満な裸婦像などの人物画に独自の境地を拓いた。

 代表作の多くは人物画であるが、風景画、花などの静物画もある。彼の代表作は、非常に多いが一例をあげれば、次のものなどがある。

『小さな貴婦人ロメーヌ・ラコー嬢』
『狩りをするディアナ』
『日傘をさすリーズ 』
『青衣の女(パリ女)』

ロートレック
 ロートレック=モンファは、フランスの画家である。一般的に姓は「トゥルーズ=ロートレック」、または単に「ロートレック」と呼ばれることが多い。

 ロートレックの代表作には、『ムーラン・ルージュにて』や『写真家セスコー』などがある。

ロダン
 ロダンは、フランスの彫刻家である。19世紀を代表する彫刻家とされ、『近代彫刻の父』と称される。

 ロダンの代表作には『地獄の門』、その一部を抜き出した『考える人』などがある。

『地獄の門』(未完)
『考える人』
『カレーの市民モニュメント』
『大聖堂』
『接吻』
『バルザック記念像』
『青銅時代』

ロマン・ロラン
 ロマン・ロラン(Romain Rolland)は、フランス中部・ニエーヴル県・クラムシー出身の理想主義的ヒューマニズム(平和主義・反ファシズム)作家です。

 戦争反対を世界に叫び続け、国際的に多くの知友がいました。


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