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〔世界の偉人〕

〔こ〕で始まる世界の偉人

ゴーギャン


あ行か行さ行た行な行
は行ま行や行ら行わ行

かきくけこ

〔こ〕で始まる世界の偉人

ゴーギャン
コーシー
コッホ
ゴッホ
コナン・ドイル
コペルニクス
コルテス
ゴルバチョフ
コロンブス
孔子
皇帝ネロ

 ポール・ゴーギャンは、フランスのポスト印象派に属する画家で、1848年、二月革命の年にパリに生まれた。

 通常は単に「ゴーギャン」と呼ばれることが多いが、「ゴギャン」「ゴーガン」とも呼ばれる。

ゴーギャンの肖像・写真 
(出典:wikipedia)

 彼は幼少時の数年間をペルーで過ごしスペイン語で育ったが、7歳の時にフランスに戻りフランス語も修得する。

 ゴギャンは、格式高いカトリック系寄宿学校に3年間通った後、14歳の時にパリの海軍予備校に入った。最終学年にオルレアンに戻ってリセ・ジャンヌ・ダルクを修了し、商船の水先人見習いとして登録した。

 その後、フランス海軍に入隊し、2年間勤務、1871年、23歳の時にパリに戻り、パリ証券取引所に入り、株式仲買人となり11年間勤務し、実業家として成功したほか、絵画取引でも多くの収入を得るようになる。

 1873年にはデンマーク女性と結婚して5人の子供をもうける。この頃から、ゴーギャンは、余暇に絵を描くようになり、画廊を訪問したり、新興画家たちの絵画を購入したりする。



 カミーユ・ピサロと親交を持つようになり、一緒に絵を描いたりしたが、ピサロから多くの画家たちを紹介された。1877年になると、自宅にアトリエを持つようになる。ゴーギャンは1881年、82年の印象派展に絵を出品するが不評であった。

 1882年にはパリの株式市場が大暴落し、絵画市場も収縮したため、ゴーギャンは苦しい生活を強いられ、その後の彼は、画業で暮らすことすることを意図するようになる。

 一時期、妻の出身地であるデンマークのコペンハーゲンに移るが、言葉の壁もあって彼自身の商売はうまくゆかず、妻が外交官候補生へフランス語を教える収入で暮らした。

 1885年6月に6歳の息子クローヴィスを連れてパリに戻り、画家として生きることを目指すが、思うようにはいかず困窮を極め、日雇い的生活を送るようになる。

 この時代に制作した作品はほとんどなかったが、1885年の第8回(最終回〉印象派展にコペンハーゲンなどでの作品、19点の絵画と1点の木のレリーフを出展した。フェリックス・ブラックモンがゴーギャンの作品を1点購入している。

 1886年夏、ブルターニュ地方のポン=タヴァンの画家コミュニティで暮らすようになり、若い画学生たち地との交流をもつようになる。第8回印象派展で学んだドガやコールデコットなどの手法を模倣しながら、ヌードのパステル画や、風景画を描くようになる。

 当時のヨーロッパでは、ジャポニズムなど他文化への関心が高まっていた時代であり、ゴーギャンは日本の浮世絵の影響も受ける。

 この後、ゴーギャンは、友人らと世界各地を訪問したり、在住しながら多くの絵画を残している。それらの地は、マルティニーク島やタヒチ滞在、フランスへの帰国、2度目のタヒチ滞在、マルキーズ諸島などである。

 ゴーギャンは、1903年5月8日の朝、突然、死の時を迎えた。原因は、心臓発作とも考えられるが、死の枕元にはアヘンチンキの空の瓶が置いてあり、その過剰摂取によるものとも考えられ、定かでない。

 イギリスの作家サマセット・モームの代表作である『月と六ペンス』の主人公の画家のモデルはゴーギャンであるといわれている。

いつ結婚するの 
いつ結婚するの(出典:wikipedia)

二人のタヒチ女 
二人のタヒチ女(出典:wikipedia)

我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか 
我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか(出典:wikipedia)

黄色いキリスト 
黄色いキリスト(出典:wikipedia)

説教あとの風景 
説教あとの風景(出典:wikipedia)

偉人のプロフィール

プロフィール
通称 ゴーギャン、あるいはポール・ゴーギャン
本名

ウジェーヌ・アンリ・ポール・ゴーギャン(Eugene Henri Paul Gauguin)

別名

ゴギャン・ゴーガン

称号

時代

19世紀後半~20世紀初頭

生誕・生誕地

1848年6月7日・フランス共和国:パリ

死没

1903年5月8日(満54歳没)・フランス領ポリネシア:マルキーズ諸島

国籍

フランス

言語

スペイン語・フランス語

居住地

学歴

パリの海軍予備校・リセ・ジャンヌ・ダルク

職業

分野

画家

所属

〔運動・動向〕:ポスト印象派・綜合主義・プリミティヴィスム

業績

〔著名な実績〕:絵画・彫刻・陶芸・エングレービング

作品

〔代表作〕

『ヴォージラールの市場の庭』
『冬の風景』
『ゴーギャン夫人の肖像』
『縫い物をする女』
『ヴォージラールの庭』
『水浴する女たち』
『ブルターニュの羊飼い』
『ブルターニュの4人の女』
『ブルターニュの少女』
『水浴するブルターニュの少年』
『黄色いキリスト』
『ラヴァルの横顔のある静物』
『マルティニークの風景』
『林の中の小屋』
『海辺II』
『池』
『熱帯の立ち話』
『マンゴー摘み』
『ヴァヒネ・ノ・テ・ティアレ(花を持つ女)』
『イア・オラナ・マリア(我マリアを拝する)』
『タヒチの女(浜辺にて)』
『ファタタ・テ・ミティ(海辺で)』
『アレオイの種』
『死者の霊が見ている』
『テフラ(テハマナ)』
『ジャワ女アンナ』
『マハナ・ノ・アトゥア(神の日)』
『ナヴェ・ナヴェ・モエ』
『オヴィリ』
『ナヴェ・ナヴェ・ファヌ(かぐわしき大地)』(木版画)
『ノア・ノア』(木版画)
『十字架のキリスト』
『ネヴァモア』
『われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか』
『3人のタヒチ人』
『夜(悪夢)』
『邪悪な精のついたタヒチの女性』
『扇を持った若い女』
『未開の物語』
『赤いケープをまとったマルキーズの男』
『自画像』
『海辺の騎手たち』
『豚と馬のいる風景』
『異国の鳥のある静物』
『自画像』(複数点)

受賞歴

名言

〔ゴーギャンの残した名言〕を参照。

サイト

その他


偉人の名言

ゴーギャンの残した名言
(分類は当サイト管理人の独断によるもの)
〔愛情〕

「私は、愛したいと思いながら、それができない。私は、愛すまいと思いながら、それができない。」

「恋する女であれ、そうすれば幸せになれる。神秘的な女であれ、そうすれば幸せになれる。」

〔何者〕

「我々はどこから来たのか?我々は何者なのか?我々はどこへ行くのか?」

「文明とは、麻痺状態のことだ。」

「熱帯の夜の静寂の中で、私は私の心からの囁きと柔軟な音楽を聞くことができます。」

「私は、見るためには目を閉じるのです。」

「ぜんぜん文明化されていない環境と、まったき孤独が、死の間際にいたり、私の内部で、最後の熱情のひらめきを復活させるのです。  そしてその熱情こそ、私の想像力を、今いちど燃やし、私の才能を、最後の出口へと導いてくれるものなのです。」

〔芸術〕

「芸術は、盗作であるか革命であるか、そのいずれかだ。」

「(印象派について)彼らはもっぱらその装飾の結果のために、真実を妨害するように、自由なしで、色を使っています。  彼らは目だけで物を見て、神秘的な思念を基にしていません。彼らは単に明日の公式画家です。」


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