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皇帝ネロ

〔世界の偉人〕

皇帝ネロ

 

 皇帝ネロは、ローマ帝国の第5代皇帝である。彼は、紀元37年、小アグリッピナとグナエウス・ドミティウス・アヘノバルブスの息子として生まれた。  彼の生誕時の名前は、ルキウス・ドミティウス・アヘノバルブスであったが、50年にクラウディウス帝の養子となり、ネロ・クラウディウス・カエサル・ドルーススとなる。54年、皇帝クラウディウスが死去し、ネロが第5代皇帝として即位する。

皇帝ネロの肖像・写真 
(出典:wikipedia)

 ネロの治世初期の政治は、名君の誉れ高かったとされるが、それは家庭教師であった哲学者ルキウス・アンナエウス・セネカや近衛長官のセクストゥス・アフラニウス・ブッルスの補佐によるものとされる。

 しかし、数年後には、ネロの側近であるセネカらと、ネロの母親であるアグリッピナとの間に緊張関係が見られるようになる。



 ネロ派と母親アグリッピナとの緊張関係が深まると、母親アグリッピナは、かつてネロと皇位継承で争った義弟ブリタンニクスに接近するようになる。ブリタンニクスには、皇位継承権が存在していたためである。

 やがて、義弟ブリタンニクスが成人し、皇位継承権を行使できる時が近づくと、母親は義弟を皇位に付けようと画策する。これを疎ましく思ったネロは、55年、ブリタンニクスを毒殺してしまう。

 その後も母親アグリッピナとネロとの緊張関係は続き対立が激しくなる。59年、遂にネロは母親アグリッピナを殺害してしまう。こうして、ネロは暴君としての異名を得るようになるのである。

 ネロの暴君ぶりは、元老院議員の生死にまで及ぶようになる。62年には、宴席でネロの悪口を言った咎で、法務官職にあったプラエトルが処刑されたのをはじめ、多くの元老院議員が処刑された。

 更にネロは、62年には妻オクタウィアを、65年には側近だったセネカをも殺害する。それに加え、64年に発生したローマ大火の犯人として、キリスト教徒に迫害を加えた。

 ネロは暴君として名高いが、彼の政策には光と影とがある。ローマ大火後には、ネロは陣頭指揮して、被災者の救済に迅速な政策を実行し、ローマ市民に受け入れられたという。

 大火跡地にネロは黄金宮殿、ドムス・アウレアを建設したが、これはローマン・コンクリートの普及に貢献したとされる。

 その後、ネロが行った貨幣改鋳は、その後150年間も受け継がれた。

ネロ帝のアス硬貨 
ネロ帝のアス硬貨(出典:wikipedia)

 59年に南イタリアのポンペイの円形闘技場で、興奮したポンペイ市民とヌケリア住民との間で暴動が起きた際には、市民の安全のためとして、その後数年間、闘技会の開催を禁止させた。

 ブリタンニアでは、女王ブーディカを首謀者とする反乱が起こり、鎮圧したが、戦後処理も適切であり、ドミティアヌス帝の時代までブリタンニアは平穏を保ったという。

 68年3月には、ガリア・ルグドゥネンシスの属州総督ガイウス・ユリウス・ウィンデクスによる反乱が勃発し、属州総督のガルバ、オトがこれに同調したが、4月には鎮圧され、ガルバは逃亡する。

 その後、穀物価格が高騰する最中に、エジプトからの穀物輸送船が闘技場の砂を運搬したという事件が発覚し、ネロは市民の反感を買う。ネロと対立状態にあった、元老院は、ネロを「国家の敵」として、ガルバを皇帝に擁立する事態に発展する。

 ネロは、逃亡し別荘に隠れたが、追手の騎馬兵が近づく気配に気付き、自らの喉を剣で貫き自刃した。ネロの墓には、ローマ市民からの花や供物などが絶えなかったという。

 ネロの死後、皇帝となったガルバは、ネロ派を粛清した。しかし、やがてガルバから離反し皇帝の座に就いたオトは、ネロ派の復職を認め、ネロの銅像建設を許可したりで民衆の人気を買った。更にオトの次の皇帝ウィテリウスもネロの慰霊祭を催して民衆を喜ばせたという。


偉人のプロフィール

プロフィール
通称 皇帝ネロ
本名

ネロ・クラウディウス・カエサル・アウグストゥス・ゲルマニクス(羅: Nero Claudius Caesar Augustus Germanicus)

または

ネロ・クラウディウス・カエサル・ドルスス・ゲルマニクス (Nero Claudius Caesar Drusus Germanicus)

別名

暴君ネロ

称号

時代

〔王朝〕:ユリウス・クラウディウス朝

〔在位〕:54年10月13日~68年6月9日

生誕・生誕地

〔出生〕:37年12月15日・アンツィオ

死没

〔死去〕:68年6月9日(満30歳没)・ローマ

国籍

ローマ帝国

言語

ラテン語・ギリシャ語

居住地

古代ローマ

学歴

職業

古代ローマ帝国皇帝

分野

所属

業績

作品

受賞歴

名言

サイト

その他

 ネロが自刃した直後に現れた追っ手の百人隊長は、死人となったネロに今更危害を加えるのは流石に忍びなく、遺体に丁重にマントを掛けようとした。

 すると、ネロが突如、かっと目を見開き「遅かったな。だが、大儀である」と言い残し絶命した。百人隊長はその死に様に恐怖したという。


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