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アマゾン〔地域別偉人〕ヨーロッパ圏の偉人イタリア |
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カエサル |
ガイウス・ユリウス・カエサルは、共和政ローマ期の政治家、軍人であり、文筆家である。ジュリアス・シーザーと呼称されることも多い。 古代ローマ帝国の終身独裁官となり、後の帝政の基礎を築いた。 暦で彼の名称が使用されていた(ユリウス暦)時期が存在していた。 「ブルータス、お前もか」や「賽は投げられた」「来た、見た、勝った」などの名文句を残したことでも知られる。 |
カッシーニ |
ジョヴァンニ・ドメニコ・カッシーニは、イタリア出身のフランスの天文学者である。 ジェノヴァ共和国のペリナルド生まれで、1673年にフランスに帰化し、パリ天文台の初代台長を務めた。 土星の4つの衛星を発見したことで知られ、その他多くの惑星観測で様々な功績を残した。 |
ガリレオ |
ガリレオ・ガリレイは、イタリアの物理学者、天文学者、哲学者である。 ガリレオはその時代に天文学上の画期的貢献をしたことから、しばしば〔天文学の父〕と称される。 彼の最も大きな成果は、天体観測に人類はじめての望遠鏡観察を導入したことである。また、宗教裁判により幾多の迫害を受けるが、天動説ではなく地動説を言及したことでも有名である。木星の衛星の発見や金星の満ち欠けも発見している。 |
グーテンベルク |
グーテンベルクは、ドイツ出身の金属加工職人、印刷業者で、活版印刷技術の発明者として有名である。 彼は、1445年までに、活版印刷技術を考案し、その機器の実用化にも成功して、自ら印刷業・印刷物出版業を創設した。 金属活字を用いた印刷術の発明は、圧倒的な印刷革命となり、活版印刷がルネサンス、宗教改革、啓蒙時代、科学革命の発展など、中世で最も重要な出来事のひとつとなった。 |
皇帝ネロ |
皇帝ネロは、ローマ帝国の第5代皇帝である。彼は、紀元37年、小アグリッピナとグナエウス・ドミティウス・アヘノバルブスの息子として生まれた。 彼の生誕時の名前は、ルキウス・ドミティウス・アヘノバルブスであったが、50年にクラウディウス帝の養子となり、ネロ・クラウディウス・カエサル・ドルーススとなる。54年、皇帝クラウディウスが死去し、ネロが第5代皇帝として即位する。 |
コロンブス |
コロンブスは、イタリアのジェノヴァ出身とされる探検家・航海者である。 大航海時代、世界最初にアメリカ海域へ到達した。 アメリカ大陸の発見者として崇められる反面、原住民に対する残虐な行為には目を覆いたくなるものがある。 これが征服者の常なのだろうか。人々はかれを偉大な探検家と呼ぶ。 |
シーボルト |
シーボルトは、ドイツの医師・博物学者である。 シーボルトは、長崎出島の商館付き医師として来日し、日本人に医学をはじめ、その他の科学を教えた。 その傍ら、日本における多くの資料を収集・整理し、持ち帰り、オランダのライデンから書籍『日本』を自費出版している。 この書籍は、日本の地理や歴史・風俗・言語・動植物など多岐にわたり詳しく紹介されている。西欧での日本研究に大きく貢献した。 |
シューベルト |
シューベルトは、オーストリアの作曲家である。天才作曲家として有名で、ロマン派の代表的作曲家である。 彼は、各分野に多くの名曲を残したが、生涯の作曲数は1000曲以上にも及ぶ。中でも、ドイツ歌曲において功績が大きく、しばしば「歌曲の王」と称される。 器楽の分野でも、室内楽や交響曲において、現在でもよく演奏される楽曲を残した。 |
ダ・ヴィンチ |
イタリアのルネサンス期を代表する芸術家。絵画や彫刻、建築、音楽、科学、数学、工学、発明、解剖学、地学、地誌学、植物学など様々な分野に顕著な業績を残し、〔万能人〕との異名がある。肖像画『モナ・リザ』や宗教画『最後の晩餐』などの名画を残した |
ディオクレティアヌス |
ガイウス・アウレリウス・ウァレリウス・ディオクレティアヌスは、ローマ帝国の皇帝(在位:284年 - 305年)である。 軍人皇帝時代を収拾し、ドミナートゥス(専制君主制)を創始し、テトラルキア(四分割統治、四分治制)を導入した。 また、キリスト教に対しては「最後の大迫害」と呼ばれる弾圧を加えた。 |
トマス・アクィナス |
トマス・アクィナスは、中世ヨーロッパ、イタリアの神学者、哲学者である。シチリア王国出身でドミニコ会士であった。 『神学大全』で知られるスコラ学の代表的神学者として知られる。 カトリック教会と聖公会では聖人、カトリック教会の33人の教会博士のうちの1人とされる。 |
トリチェリ |
トリチェリは、ガリレオ・ガリレイの弟子であり、イタリアの物理学者である。ファエンツァに生まれ、ローマに出て最初は数学者ベネデット・カステリの秘書をした。 1641年からはガリレイの弟子となり、ガリレイの死まで研究をともにした。 その後はトスカーナ大公フェルディナンド2世に数学者・哲学者として招かれて、ピサ大学の数学の教授に任命された。1647年、腸チフスのため39歳の若さで没した。 |
ナイチンゲール |
イギリスの看護師・社会起業家・統計学者・看護教育学者。近代看護教育の母と称される。クリミア戦争での負傷兵たちへの献身や統計に基づく医療衛生改革を行う。 |
パウロ |
パウロは、初期キリスト教の使徒であり、新約聖書の著者の一人である。もともとイエスの信徒を迫害していたが、回心してキリスト教徒となり、キリスト教発展の基礎を作った。 聖人であり、その記念日はペトロとともに6月29日(ユリウス暦を使用する正教会では7月12日に相当)である。 正教会やカトリック教会はパウロを使徒と呼んで崇敬するが、イエス死後に信仰の道に入ってきたためイエスの直弟子ではなく、「最後の晩餐」に連なった十二使徒の中には数えられない。 |
バッハ |
バッハは、18世紀のドイツで活躍した作曲家・音楽家である。バロック音楽の重要な作曲家の一人で、鍵盤楽器の演奏家としても高名であり、当時から即興演奏の大家として知られていた。 バッハ研究者の見解では、バッハはバロック音楽の最後尾に位置する作曲家としてそれまでの音楽を集大成したとも評価されるが、後世には、西洋音楽の基礎を構築した作曲家であり音楽の源流であるとも捉えられ、日本の音楽教育では「音楽の父」と称された。 バッハ一族は音楽家の家系で(バッハ家参照)数多くの音楽家を輩出したが、中でも、ヨハン・ゼバスティアン・バッハはその功績の大きさから、大バッハとも呼ばれている。J・S・バッハとも略記される。 |
プトレマイオス |
プトレマイオスは、数学、天文学、占星学、音楽学、光学、地理学、地図製作学など幅広い分野にわたる業績を残した古代ローマの学者である。 『アルマゲスト』や『テトラビブロス』『ゲオグラフィア』など、古代末期から中世を通して、ユーラシア大陸の西半分のいくつかの文明において、権威とみなされていた。 また、これらの文明の宇宙観や世界観に大きな影響を与えた学術書の著者でもある。 |
ペトロ |
ペトロは、新約聖書に登場する人物で、イエス・キリストに従った使徒の一人であり、シモン・ペトロ、ペテロ、ケファとも呼ばれる。 |
ボルタ |
ヴォルタ伯爵は、イタリアの自然哲学者・物理学者である。〔ボルタ電池〕と称される、世界初の化学電池を発明した。 ボルタは、また、拳銃の遠隔操作実験を行ったことでも知られる。彼は、ライデン瓶に蓄えられた電気を、コモからミラノまでの約50kmの距離で送り、ピストルの発射に成功した。 木の板を用いて地面から絶縁して、電流を導線で送った。この発明は本質的には、電信技術と同等であり、電気を使った通信を行う先駆けである。 |
マルコ・ポーロ |
マルコ・ポーロは、ヴェネツィア共和国の商人・冒険家・旅行家。有名な『東方見聞録』を著し、ヨーロッパへ中央アジアや中国を紹介した。 書物の中で黄金の国ジパングが存在することを紹介している。 彼の冒険談は当時のヨーロッパの地理学に大きな影響を与え、世界地図が作成されることとなる。 更に、コロンブスなど多くの冒険者に刺激を与えることとなった。 |
マルコーニ |
マルコーニは、イタリアのボローニャ生まれの発明家で、無線電信の開発で知られている。 1897年にマルコーニ無線電信会社を創立したが、後々BAEシステムズの一部となる。日露戦争では日本側がマルコーニ無線を、ロシア側がテレフンケン無線を使い、大きな宣伝効果をあげた。 1909年には、無線通信の発展に貢献したとして、ブラウンとともにノーベル物理学賞を受賞した。 |
ミケランジェロ |
ミケランジェロはルネッサンス期の芸術家である。 代表作に、『システィーナ礼拝堂天井画』や『ダヴィデ像』『最後の審判』などがある。 特にバチカンのシスティーナ礼拝堂の巨大な天井フレスコ画が有名である。 |
ムッソリーニ |
ムッソリーニは、イタリアの政治家・教師・軍人である。 第40代イタリア王国首相を務め、イタリア社会党で活躍したのち一度は追放された。 独自のファシズム理論を展開し、国家ファシスト党による一党独裁制を確立した。 |
モディリアーニ |
モディリアーニは、イタリアの画家、彫刻家である。主にパリで制作活動を行った。芸術家の集うモンパルナスで活躍し、エコール・ド・パリ(パリ派)の画家の一人に数えられる。 モディリアーニの絵画の代表作の大部分は、1916年から1919年の間に集中して制作されている。絵画のほとんどは油彩の肖像と裸婦であり、顔と首が異様に長いプロポーションを持ち、目には瞳を描き込まないことが多いなど、特異な表現をとっているが、これは自身の彫刻の影響が指摘されている。 モディリアーニの代表作には、『モー・アブランテス』や『ディエゴ・リベラの肖像』『ポール・ギヨームの肖像』などがある。 |
ライプニッツ |
ライプニッツは、ドイツの哲学者、数学者である。ルネ・デカルトやバールーフ・デ・スピノザなどとともに近世の大陸合理主義を代表する哲学者である。 ライプニッツは、アイザック・ニュートンとは独立に微積分法を発見・発明し、それに対する優れた記号法すなわちライプニッツの記法を与えた。現在使われている微分や積分の記号は彼によるところが多い。 彼の重要な業績のもう一つの側面は、今日の論理学における形式言語に当たるものを初めて考案したことにある。ライプニッツによれば、それを用いることで、どんな推論も代数計算のように単純で機械的な作業に置き換えることができ、注意深く用いることで、誤った推論は原理的に起こり得ないようにすることができるという。 彼は、優秀な頭脳を集めれば、数年のうちに実現すると考えていたが、現実にそれが実現できたのは、300年以上も先のことであった。 ライプニッツの主著は、『モナドロジー』、『形而上学叙説』、『人間知性新論』などである。 |
ラグランジュ |
ラグランジュは、数学者、天文学者である。オイラーと並んで18世紀最大の数学者といわれている。 彼の初期の業績は、微分積分学の物理学、特に力学への応用である。その後さらに力学を一般化して、最小作用の原理に基づく、解析力学(ラグランジュ力学)をつくり出した。 ラグランジュの『解析力学』はラプラスの『天体力学』と共に18世紀末の古典的著作となった。 解析力学の研究では、ラグランジュはそれまでの幾何学的方法を排除して、ダランベールの原理、仮想速度の原理を基礎として、純粋な解析学の構築を行った。エネルギー保存則からは、最小作用の原理を導出した。 1770年、数論において、全ての自然数が高々四つの平方数の和によって表されるという、ラグランジュの四平方定理を発表している。 ラグランジュは、五次以上の方程式がベキ根によっては解けないことについても研究し、根の置換など群論の先駆けとなるような研究も行った。この問題は後にアーベルによって証明された。 オイラーと共に発見した、相対位置を変えずに共に移動し続けられるような5つの位置のことをラグランジュポイント(L1?L5)と呼ぶ。 彼は、度量衡の標準化に尽力したことでも有名である。 |