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〔ナイチンゲール〕

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〔な〕で始まる世界の偉人

ナイチンゲール
ナポレオン

〔世界の偉人〕

ナイチンゲール

 

 ナイチンゲールは、イギリスの看護師・社会起業家・統計学者・看護教育学者である。

 クリミア戦争での負傷兵たちへの献身や統計に基づく医療衛生改革を行ったことで知られ、近代看護教育の母と称される。

ナイチンゲールの肖像・写真 
(出典:ウイキペディア)

 病院建築でも非凡な才能を発揮し、ロンドンの聖トーマス病院に付属してナイチンゲール看護学校を設立した。これは、非宗教的看護学校で、現在はキングス・カレッジ・ロンドンの一部となっている。



 ナイチンゲールは裕福な家庭である両親の2年間の新婚旅行中にフィレンツェで生まれ、フィレンツェの英語読みであるフローレンスと命名された。

 幼少期には、あらゆる限りの教育がほどこされ、英語、フランス語、イタリア語、ラテン語などの読み書きができ、歴史や哲学のほか、数学、天文学、経済学、地理、芸術、文学などの教育を受けたという。

 しかし、彼女は、慈善訪問で貧しい農民の悲惨な生活に接し、人々に奉仕する仕事をしたいと思うようになる。

 1851年、ナイチンゲールはドイツの病院付学園施設カイザースヴェルト学園に滞在する機会を得る。そして看護師を志しロンドンの病院へ無給で就職する。

 やがて、婦人病院長となると、彼女はイギリス各地の病院での看護の状況を調べ、看護婦への専門教育の必要性を提唱する。その時代、看護婦は一種の召使的な仕事とされていて、専門知識など無用と考えられていた時代であった。

 1854年にクリミア戦争が勃発すると、ロンドンタイムスにより前線での負傷兵の悲惨な状況が伝えられ世論で大問題となる。ナイチンゲールは、自らも看護婦として従軍しようと決心する。

 前線での事態の重大さに当時の戦時大臣は、ナイチンゲールを長として、シスター24名、職業看護婦14名の計38名の女性を後方基地と病院のあるスクタリに向かわせた。

看護婦として戦傷兵を見舞うナイチンゲール(1855年) 
看護婦として戦傷兵を見舞うナイチンゲール(1855年)
(出典:ウイキペディア)

 極めて不衛生な兵舎病院には必要物資の供給もままならない状況だった。また、現地の軍医長官は看護婦団の従軍を拒否さえした。

 時のヴィクトリア女王は、戦時大臣に対し、ナイチンゲールからの報告を直接女王に届けるよう命じ、この情報が戦地の病院内で貼り出されると、看護婦団や傷病兵を勇気づける。

 ナイチンゲールの着任後に病院での死亡率は一時的に上昇したものの、やがて衛生状態の改善に伴い、死亡率は顕著に改善された。彼女は、その働きぶりから「クリミアの天使」とも呼ばれるようになる。現在でいう「白衣の天使」という言葉の由来である。夜回りを欠かさなかったことで「ランプの貴婦人」とも呼ばれた。

 1855年には戦時省と陸軍省が合併して、新陸軍省となったが、ここに衛生委員会が組織され、ナイチンゲールの報告に基づいて、病院での衛生環境の改善が図られた。2月には42%ほどだった病院での死亡率は、4月には14.5%、5月には5%ほどにまで改善された。兵舎病院での死者は、負傷ではなく病院内で蔓延する感染症によるものが主体だったのである。

 1856年3月30日には平和条約が締結され、4月29日にクリミア戦争が終結、7月16日、病院最後の患者が退院する。

 帰国後、ナイチンゲールチームは病院でのデータ分析を行い、多くの統計資料を作成して、改革のためにつくられた各種委員会に提出する。このことで、イギリスではナイチンゲールを統計学の先駆者とも呼んでいる。

 改革は保険制度のみならず、陸軍全体の組織改革にまで及んだ。1859年、ナイチンゲールはイギリス王立統計学会の初の女性メンバーとなった。後にはアメリカ統計学会の名誉メンバーにも選ばれている。

 戦時中に設立されたナイチンゲール基金が45000ポンドに達したとき、聖トーマス病院(現キングス・カレッジ・ロンドン)内にナイチンゲール看護学校が設立された。

 ナイチンゲールが看護師として負傷兵に献身したのは、クリミア戦争での2年間だけである。彼女のもっと大きな功績は、統計的な解析に基づく医療衛生改革に尽くしたことである。

 彼女は、37歳を迎えた1857年に心臓発作で倒れ、その後は慢性疲労症候群とされる不自由な状態となる。それからの50年間をほとんどベッド上で過ごし、執筆活動などで過ごした。1910年8月13日に死去した。


偉人のプロフィール

プロフィール
通称 ナイチンゲール
本名

フローレンス・ナイチンゲール(Florence Nightingale)

別名

近代看護教育の母。白衣の天使。ランプの貴婦人。統計学の先駆者

称号

時代

19世紀~20世紀初頭

生誕・生誕地

1820年5月12日・イタリア(トスカーナ大公国):フィレンツェ

死没

1910年8月13日(90歳)・イギリス:ロンドン

国籍

イタリア・イギリス

言語

英語、フランス語・ギリシャ語・イタリア語・ラテン語

居住地

イタリア・イギリス

学歴

職業

看護師・社会起業家・統計学者・看護教育学者

分野

〔専門分野〕

・病院衛生管理

所属

セリミエ・バラック(スクタリ)

業績

〔著名な実績〕

・近代看護教育の母
・医学関連経歴

作品

〔代表的著作〕

『看護覚え書』:この著は、看護教育の場で古典として広く読み継がれている。

〔看護についての著作〕

『カイゼルスウェルト学園によせて』
『女性による陸軍病院の看護』
『看護覚え書』
『インドの病院における看護』
『救貧病院における看護』
『貧しい病人のための看護』
『病院と患者』
『看護婦の訓練と病人の看護』
『病人の看護と健康を守る看護』

〔病院についての著作〕

『病院覚え書』
『産院覚え書』

〔英国陸軍の保健についての著作〕

『英国陸軍の保健』
『インド駐在陸軍の衛生』

受賞歴

〔受賞〕

・赤十字勲章 (1883年)
・メリット勲章 (1907年)

名言

天使とは、美しい花をまき散らす者でなく、苦悩する者のために戦う者である。

サイト

その他

 国際看護師の日(5月12日)は彼女の誕生日である。

 ギリシア哲学について造詣が深く、オックスフォード大学のプラトン学者、ベンジャミン・ジョウェットとも親しかった。

 現在、聖トーマス病院にナイチンゲール博物館がある。

 2007年、1890年にロンドンで蝋管に録音された肉声が、東大先端科学技術センターにより公開された。その内容は、クリミア戦争で戦った兵士達が無事に帰還できるよう祈るものである。


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