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〔世界の偉人〕

ヴィクトル・ユーゴー

 

 ヴィクトル・ユーゴーは、19世紀のフランス・ロマン主義の詩人であり小説家、政治家です。軍人である父親と資産家の娘である母親から生まれましたが、彼は波乱に富んだ人生を送ったことで知られていています。

 政治家としてはさしたる業績はなかったものの作家としては無数の作品を残して大成功をおさめました。代表作に『レ・ミゼラブル』があります。

ヴィクトル・ユーゴの写真 
(出典:wikipedia)

 ヴィクトル・ユーゴーは、1802年2月26日、ナポレオン軍の軍人、ジョゼフ・レオポール・シジスベール・ユーゴーと資産家の娘、ソフィー=フランソワーズ・トレビュシェの三男として、父の任地フランス東部のブザンソンで生まれました。

 両親の思想的確執もあって、主に母親に育てられ、コルシカ島やエルバ島、パリ、ナポリ、マドリードなどを転々と移動して暮らしました。

 1812年以降、母と次兄らとパリに住むが、その頃にはナポレオンの帝政時代は終焉を告げ、父親はスペイン貴族の地位を剥奪され、フランス軍の一大隊長でしかない状態となります。彼は寄宿学校で暮らしながら、ルイ・ル・グラン高等中学[9]にも通いました。

 父親は彼を軍人に育てたいと思っていましたが、彼自身は詩を書くことに夢中でした。17歳のとき、アカデミー・フランセーズでの詩のコンクールで一位を取り、自ら詩の雑誌を発行するほどでした。

 母親は1821年6月に他界し、ヴィクトルは、1821年10月12日、幼馴染のアデール・フシェと結婚します。翌1822年には、『オードと雑詠集』によって国王から年金をもらえるようになり、若干20歳にしてロマン派の旗手としての活躍を始めます。そして、1825年2月29日、23歳の若さでレジオンドヌール勲章(シュヴァリエ、勲爵士)を授与されます。



 やがて、彼は少年時代には疎遠だった父親とも親密になり、ナポレオンを理解するようにもなっていきます。また、聖別式でシェイクスピアの詩を耳にしたことが切っ掛けで、シェイクスピアを尊敬するようになります。

1819年以降、数多くの詩作が賞に輝くなどしてルイ18世から下賜金や年金を受けるようになります。

 1829年には代表作のひとつ戯曲『エルナニ』を執筆公演する。これがロマン派と古典派との対立を招くが、この作品はロマン派を世界文学の主流に据えるきっかけとなり、公演も大成功を収めます。

 彼は裕福な邸宅に住むようになるが、妻を小説家のサント・ブーブに寝取られて悩んだり、自らも愛人ができたりするが、創作には情熱を燃やし続けます。

 彼は、1843年から1852年までのほぼ10年間、ひとつの作品も発表していなかったが、その間にフランス文学史上屈指の名作とされる『レ・ミゼラブル(あゝ無情)』を執筆したのだった。

 ユーゴーは政治家としても活躍するが、ナポレオンと対立し、弾圧されるようになり、1851年12月11日、ベルギーへと亡命、以後19年間亡命生活を余儀なくされ、ナポレオン批判を開始しました。

 1870年に勃発した、フランスとプロイセン王国との戦争〔普仏戦争〕でフランスは大敗し、ナポレオン3世が失脚します。ユーゴーは19年ぶりにフランスに帰国し、英雄として迎えられます。その後も執筆活動は続きました。

 1885年5月22日、パリで死去。享年83歳。文豪としてパンテオンへと埋葬されました。


偉人のプロフィール

プロフィール
通称 ユーゴー、ユゴー
本名 ヴィクトル=マリー・ユーゴー(仏: Victor, Marie Hugo)
別名

称号 1845年4月13日:オルレアン公爵夫人エレーヌの後ろ盾があったおかげで、ルイ・フィリップから子爵の位を授けられた。貴族になったのである。

時代 七月王政時代からフランス第二共和政時代
生誕 1802年2月26日:フランス ブザンソン
死没 1885年5月22日:フランス パリ(満83歳没)
国籍 フランス
言語 フランス語
出身地
居住地 フランス
学歴
職業 小説家・詩人・政治家
分野 〔文学活動〕:ロマン主義
所属
業績
作品  『エルナニ』(1830年、戯曲)
 『ノートルダム・ド・パリ』(1831年)
 『静観詩集』(1856年)
 『レ・ミゼラブル』(1862年)
 『九十三年』(1874年)

受賞歴 1825年4月29日:23歳にして、レジオンドヌール勲章(シュヴァリエ、勲爵士)を授与される。

1825年5月29日:ランスで行われたシャルル10世の聖別式に参加。

1837年7月3日:レジオンドヌール勲章(オフィシエ、将校)を授与される。

名言 〔@@@の名言〕



サイト
その他

1959年~1965年、フランスの5フラン紙幣に肖像画が採用されていた。

『レ・ミゼラブル』が出版された直後、海外旅行中のユーゴーはその売れ行きが気がかりで、出版社に一文字「?」とだけ書いただけの手紙を送ります。そして出版社から「!」とだけ書かれた返信が届きました。

 「上々の売れ行きです!」という意味であり、事実即日完売・売切れの状態だったのでした。



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