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アマゾン〔世界の偉人〕〔め〕で始まる世界の偉人メシエ |
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メシエは、いわれなき一種の屈辱を跳ね飛ばさんとばかり、彗星探索に一層没頭するようになるのである。 彗星発見者として徐々に有名になり、1760年にドリルが退官すると、その後任として天文官に就任する。1764年にはロンドン王立協会の外国人会員となる。 メシエは、彗星探索において、彗星と見分けにくい多くの天体が存在することに気付き、閉口して、1764年初め頃から、このような天体の分類リスト作りを始める。 この年の年末には、それまで知られていた天体に、自ら発見した18個の天体を加えた40個の天体リストを作成する。これらの天体には〔M1〕~〔M40〕の番号が振られる。40番目の天体〔M40〕は、実は二重星であった。 1765年に発見した〔おおいぬ座〕に〔M41〕の番号を付けたが、何とか45個にしようと、プレセペ、プレアデスなどの有名な天体を追加した。 1769年には、おひつじ座のはずれに大彗星 (C/1769P1) を発見、続いて、翌1770年にも彗星(レクセル彗星 (D/1770 L1)[2])を発見する。これにより、プロイセン科学アカデミーの外国人会員の資格を取得することとなる。 かくして、メシエが生涯に発見した彗星の個数は13個になった。そのうちの一つは助手のピエール・メシャンとの共同発見である。 彼の業績に対し、ルイ15世はメシエを「彗星の狩人」と呼んだし、ナポレオンはメシエに勲章を与えている。 1774年以降、メシエは『メシエ天体カタログ』の第1巻から第3巻までを発表した。それらには〔M1〕~〔M103〕の識別番号が振られている。 現在、このカタログに掲載された天体は、〔メシエ天体〕と呼ばれ親しまれている。 メシエが使用した望遠鏡は口径がわずか、5~7cm程度の小型だったため、その後の高性能望遠鏡での観測により、メシエ天体には、星雲以外に、星団・銀河も含まれていることが判明している。 |
プロフィール | |
通称 | メシエ |
本名 |
シャルル・メシエ(Charles Messier) |
別名 |
彗星の狩人 |
称号 |
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時代 |
18世紀中期~19世紀前期 |
生誕・生誕地 |
1730年6月26日 |
死没 |
1817年4月12日 |
国籍 |
フランス |
言語 |
フランス語 |
居住地 |
フランス |
学歴 |
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職業 |
天文学者 |
分野 |
星雲・星座・銀河の分類 |
所属 |
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業績 |
〔主な業績〕 |
作品 |
〔メシエカタログ〕 |
受賞歴 |
〔ドリル天文官から表彰〕:過去情報から予想されたハレー彗星の出現発見(17581月21日) |
名言 |
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サイト |
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その他 |
現在、彼の名誉を称えた天体などに彼の名がつけられている。 |