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〔世界の偉人〕

〔め〕で始まる世界の偉人

メシエ
(Charles Messier)



 メシエは、フランスの天文学者である。星雲や星団・銀河に番号を振り、『メシエカタログ』を作成したことで知られている。

 メシエカタログに掲載された星雲や星団・銀河にはメシエを意味する〔M〕の文字の後に1番から番号がふられ、全部で103個ある。彼の望遠鏡は小型だったため、これらの天体には、星雲以外に、星団・銀河も含まれていることが判明している。




 メシエは、1730年6月26日、フランスのロレーヌ地域圏にあるバドンヴィレで生誕した。メシエは、1751年からフランスの海軍天文台で、天文官ジョゼフ=ニコラ・ドリルの助手として働き、航海天文台の事務員として彗星の発見に没頭するようになる。

 1758年の冬季、過去の観測情報から出現が予測されるハレー彗星を探索しはじめ、翌年の1月21日に発見して、ドリル天文官から表彰される。


 しかし、実はこれより1か月ほど早い、1758年12月25日に、ヨハン・ゲオルク・パリッチュが発見していたことが判明する。パリッチュがヨーロッパ中で一躍有名人となるのと対照的に、メシエは一種の誹謗中傷的にその名を知られることとなる。

 メシエは、いわれなき一種の屈辱を跳ね飛ばさんとばかり、彗星探索に一層没頭するようになるのである。彗星発見者として徐々に有名になり、1760年にドリルが退官すると、その後任として天文官に就任する。1764年にはロンドン王立協会の外国人会員となる。

 メシエは、彗星探索において、彗星と見分けにくい多くの天体が存在することに気付き、閉口して、1764年初め頃から、このような天体の分類リスト作りを始める。

 この年の年末には、それまで知られていた天体に、自ら発見した18個の天体を加えた40個の天体リストを作成する。これらの天体には〔M1〕~〔M40〕の番号が振られる。40番目の天体〔M40〕は、実は二重星であった。

 1765年に発見した〔おおいぬ座〕に〔M41〕の番号を付けたが、何とか45個にしようと、プレセペ、プレアデスなどの有名な天体を追加した。

 1769年には、おひつじ座のはずれに大彗星 (C/1769P1) を発見、続いて、翌1770年にも彗星(レクセル彗星 (D/1770 L1)[2])を発見する。これにより、プロイセン科学アカデミーの外国人会員の資格を取得することとなる。

 かくして、メシエが生涯に発見した彗星の個数は13個になった。そのうちの一つは助手のピエール・メシャンとの共同発見である。彼の業績に対し、ルイ15世はメシエを「彗星の狩人」と呼んだし、ナポレオンはメシエに勲章を与えている。

 1774年以降、メシエは『メシエ天体カタログ』の第1巻から第3巻までを発表した。それらには〔M1〕~〔M103〕の識別番号が振られている。現在、このカタログに掲載された天体は、〔メシエ天体〕と呼ばれ親しまれている。

 メシエが使用した望遠鏡は口径がわずか、5~7cm程度の小型だったため、その後の高性能望遠鏡での観測により、メシエ天体には、星雲以外に、星団・銀河も含まれていることが判明している。


偉人のプロフィール

〔メシエ〕のプロフィール。

〔メシエ〕

メシエの肖像・写真 
(出典:ウイキペディア)
プロフィール
通称 メシエ
本名 シャルル・メシエ(Charles Messier)
別名

彗星の狩人

受賞歴
時代 18世紀中期~19世紀前期
生誕 1730年6月26日
死没 1817年4月12日
国籍 フランス
言語 フランス語
居住地 フランス
学歴
職業 天文学者
分野 星雲・星座・銀河の分類
所属
業績 〔主な業績〕

『メシエカタログ』の作成。星雲・星団・銀河に番号を振り付けた。

作品 〔メシエカタログ〕

『メシエ天体カタログ』第1巻 (M1-M45)(1774年)
『メシエ天体カタログ』第2巻 (M46-M68)(1781年)
『メシエ天体カタログ』第3巻 (M69-M103)(1784年)

受賞歴 〔ドリル天文官から表彰〕:過去情報から予想されたハレー彗星の出現発見(17581月21日)

〔ナポレオン〕:メシエに勲章を授与

名言 〔メシエの名言〕



サイト
その他

 現在、彼の名誉を称えた天体などに彼の名がつけられている。

・月のクレーター(メシエ)
・小惑星7359番(メシエ)