ジャン=フランソワ・ミレーは、19世紀のフランスの画家である。ミレーは、1814年、ノルマンディー地方マンシュ県の海辺にあるグリュシーという小さな村に、8人兄弟の長男として生まれた。
パリの南方約60kmにある、フォンテーヌブローの森のはずれのバルビゾン村に定住し、風景や農民の風俗を描いた画家たちを、今日「バルビゾン派」と称している。ミレーはその代表的画家のひとりである。 バルビゾン派の中でも、ミレーは、大地とともに生きる農民の姿を、崇高な宗教的感情を込めて描いた。 ミレーは、19歳の時、グリュシーから十数km離れたシェルブールの街で絵の修業を始めた。1837年、22歳の年にパリへ出て、当時のアカデミスムの巨匠であったポール・ドラローシュに師事して、デッサンや模写のほか、聖書や神話など画題となる古典文学なども学ぶ。
26歳の時、肖像画がサロン(官展)に初入選する。奨学金が停止されていたため生活に困窮し、肖像画や裸体画や神話画などを多く手がけている。 1841年に最初の結婚をしパリに住むが、妻は3年後には肺結核で病死する。1849年には、パリにおけるコレラ流行したため、ミレーはバルビゾンへ移住し、以後同地で制作を続けた。 この頃から、共和国政府からの依頼もあり、ようやく生活が安定し、農民画に専念するようになる。1850年には、有名は『種まく人』をサロンへ出品する。その後も『晩鐘』『落穂拾い』などの代表的農民画を描く。 ミレーの代表作には、次のものなどがある。
『落穂拾い』 『種まく人』 『晩鐘』 『春』 『春』 『古い塀』 『グレヴィルの断崖』