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〔世界の偉人〕

〔く〕で始まる世界の偉人

クリスチャン・ディオール


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 クリスチャン・ディオールは、フランスのファッションデザイナーである。主に、1950年代に活躍し、ファッションブランド「クリスチャン・ディオール」を創立した。世界ブランドに成長したこのブランドは、単に「ディオール」と呼ばれることも多い。

 〔〇〇〇・ライン〕のように名付けた数多くのデザインを発表し、ファッション世界を魅了し続けている。

クリスチャン・ディオールの写真 
(出典:wikipedia)

 ディオールは、フランス北西部ノルマンディーマンシュ県・グランヴィルで裕福な家庭に生まれ、5歳のころパリに移住する。

 両親が息子を外交官にと願ったことで、フランスのパリ政治学院に学んだが、彼自身は芸術に強い関心があった。

 1928年、父親からの出資により、友人と共に小さなアートギャラリーを開き、絵画の販売などを始めた。しかし、3年後に世界恐慌が襲い、ギャラリーは閉鎖となる。

 1937年、ロベール・ピゲに雇われ、デザインをするチャンスを手にする。そこでディオールは、シンプルなデザインにこそ真のエレガンスが現れることを学んだという。



 その後、一時期徴兵により軍役につくが、復帰後には、リュシアン・ルロンのファッションハウスに加わる。

 1946年12月8日、綿のファブリック王、マルセル・ブサックの支援下、ディオールは自身のクチュールメゾンをパリで立ち上げる。自分自身のブランド設立である。そして、翌年には、最初のコレクション(ニュールック)を発表した。

 このデザインは、当時の服飾資材不足の背景から批判や抗議運動を招いたが、戦後、物資が豊かになり沈静化した。ニュールックは女性の服飾革命を起こし、大戦後のパリは再度ファッションの中心地に復帰した。

 ディオールは、毎シーズン、〔〇〇・ライン〕というテーマを設定して作品を発表し、1947年~1957年までの11年間にわたり、パリのオートクチュール界の頂点に君臨した。

 ディオールは、1957年の10月23日、イタリア・モンテカティーニにて、心臓発作により急死した。52歳だった。


偉人のプロフィール

プロフィール
通称 クリスチャン・ディオール
本名

クリスチャン・ディオール(Christian Dior)

別名

称号

時代

20世紀

生誕・生誕地

1905年1月21日・フランス:マンシュ県・グランヴィル

死没

1957年10月24日(満52歳没)・イタリア:モンテカティーニ・テルメ

国籍

フランス

言語

フランス語

居住地

フランス

学歴

パリ政治学院

職業

ファッションデザイナー

分野

ファッション

所属

業績

〔ファッションブランド創立〕

クリスチャン・ディオール(もしくはディオール)

処女作

〔クチュールメゾン〕

 1946年12月8日、マルセル・ブサックの後援を得て、ディオールは自身のクチュールメゾンをパリ、アヴェニュー・モンテーニュ30番地に立ち上げる。

作品

〔ファッション・ライン発表〕

1947年:「S/Sコレクション」でパリにデビュー。「8ライン(別名コロール・ライン、いわゆるニュールック)」発表

1948年: 香水部門の会社「パルファン・クリスチャン・ディオール」を設立。

1948年:「ジグザグ・ライン」を発表

1950年:「パーティカル・ライン」発表

1951年:「オーバル・ライン」発表

1952年:「シニュアス・ライン」発表

1953年:「チューリップ・ライン」発表

1954年:「Hライン」発表

1955年:「Aライン」、「Yライン」発表

1956年:「アロー・ライン」発表

受賞歴

名言

サイト Dior 公式サイト

その他


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