諸葛孔明は、中国後漢末期から三国時代の蜀漢の政治家・軍人・天才軍師である。彼は、司隷校尉諸葛豊の子孫で、泰山郡丞諸葛珪の子である。蜀漢の建国者である劉備の創業を助けた。その子の劉禅の丞相としてよく補佐した。 現在も、成都や南陽には諸葛亮を祀る武侯祠があり、多くの観光客が訪れている。西暦207年、劉備は、自軍の軍師として孔明を迎えたいと願い、孔明の住む草廬(そうろ:草ぶきの家)を訪れる。 一度目の訪問時、孔明は留守であった。劉備は、もう一度訪問したがやはり留守で、劉備は孔明に会うことはできなかった。 劉備は、これであきらめずに三度目の訪問をすると、今度は孔明に会うことができた。劉備が孔明に熱心に懇願した結果、孔明は劉備の熱意にうたれ、劉備に仕えることを承諾する。このように、目上の者が目下の者に礼を尽くし、三度も出向いて懇願することを〔三顧の礼〕という。
◆〔諸葛孔明〕のプロフィール。
伏龍・臥龍
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