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〔世界の偉人〕

〔し〕で始まる世界の偉人

シートン
(Ernest Thompson Seton)



 シートンはイギリス出身の博物学者・作家・画家である。日本では『シートン動物記』の作者として知られ、少年・少女たちに大きな夢を与えている。

 シートン動物記においては、画家であるシートン自身が100点を超える挿絵を描いていて、物語をいっそう魅力あるものとしている。彼は、ボーイスカウト運動の創生に大きな影響を与えたとされる。

 シートンは、1860年8月14日、イギリスのサウスシールズで12人兄弟の末っ子として生まれた。船会社を経営していた父親の事業がうまくいかず、シートンが5歳のときにカナダのオンタリオに移住、その後もトロントに移住している。




 シートンは、幼少時より活発な少年で、学校から帰るとよく森を探検をしていたという。高校卒業後には博物学者を目指すが、父親の薦める画家の道を歩み始める。シートンの父親は、謹厳なキリスト教徒であり、古典的紳士であったが、家族に対してはその厳しさゆえに、一種の暴君だったようである。

 逸話として、家族は日曜日には起きている間は、宗教的な勤めをしなければならなかったという。シートンは、オンタリオ美術学校を優秀な成績で卒業したとされ、その頃から自分が好きな、動物を題材とした絵がとても得意だったという。


 シートンは、1879年にオンタリオ美術学校を卒業し、絵の勉強のため単身イギリスに渡り、絵画の名門のロイヤル・アカデミー絵画彫刻学校に入学する。

 この絵画彫刻学校で学ぶ中で、シートンは、イギリスで誉れ高い博物館である、大英博物館との出会うのである。それまで半ば諦めかけていた、博物学者になる夢を再びとり戻すことになる。

 当初、シートンは、ロイヤル・アカデミー絵画彫刻学校の入学試験の課題として絵を描く必要があって名画を見る目的で、大英博物館へでかけたのだった。博物館へ出かけてみると、そこには図書館もあって、シートン好みの世界中の博物学書が沢山並べられていた。

 しかし、図書館は21歳未満では入館できないという年齢制限の規則があって、当時19歳のシートンは入館することができなかった。これをどうしても諦められなかったシートンは、図書館長にどうすれば入館できるか教えてもらった。

 図書館長は、イギリス王太子、イングランド国教会の大主教、首相のいずれかの許可があれば、21歳未満でも入館できると教えてくれた。

 シートンは、念のために三者に手紙を書き、熱意が通じてか返事が来て、図書館長から一生涯使える館友券を手に入れることができた。

 それからというもの、毎日、シートンは昼は博物館で絵を描き、夜は図書室が閉館する10時まで、博物学の本を読み漁った。しかし、無理をし過ぎて体調を壊し、トロントに帰郷することとなる。

 体調が回復すると、シートンは、同じくカナダで農場経営をしている兄の元で農場の手伝いをするようになる。その傍ら、森林や草原に出現するいろいろな動物を観察し、その生態を細かく記録するようになる。

 1883年にはニューヨークの出版社で動物の絵を描く仕事を始めたものの、大自然が恋しくなりカナダに戻る。1890年にも絵の勉強のためにパリに行くが、またしても大自然が忘れられずカナダへ戻る。

 シートンは、1892年からの5年間、マニトバ州政府の博物学者となり、博物学の専門書を2冊刊行する。

 1893年には、知人のアメリカ人実業家から、牧場の牛が狼に襲われて困っているので、動物に詳しいシートンに助けて欲しいとの手紙をもらう。ニューメキシコでこの狼、ロボを捕獲すると、またフランスに戻る。

 1895年にはアメリカに戻り、グレース・ギャラトンと結婚する。1896年以降は、米国に永住しニューヨークで暮らすようになる。

 シートンは、過去数年間に雑誌発表していた物語8編をまとめ、第1作品集『私の知る野生動物』を刊行すると大ヒットを博し、全米に名を轟かせる。そして、各地での講演を依頼されるようになる。

 そのとき発表した8編の物語は、『ロボ』や『銀の星』『ギザ耳坊や』『ビンゴ』『スプリングフィールドの狐』『だく足のマスタング』『ワリー』『赤襟巻』である。

 1902年、インディアンの生活を理想とした素朴な自然活動を志す少年キャンプをコネチカットで始めて、ウッドクラフト・インディアンズという少年団を創設する。シートンの提唱するウッドクラフトとは、日本語でいえば「森林生活法」である。

 彼は、また、雑誌「レディーズ・ホーム・ジャーナル」誌に、ウッドクラフトとキャンプについての連載記事を寄せる。

 1903年に『二人の小さな野蛮人』を出版、森林生活法の本格的な普及を目指す。この運動をイギリスでも普及させようと、軍人で青少年教育に関わりのある知人のロバート・ベーデン・パウエルに、著書に添えて手紙を出す。これが、後にパウエルがボーイスカウトを発足させる大きな起点となる。

 1910年には、米国ボーイスカウト連盟の理事長に就任するが、1915年には他の指導者との折り合いが悪くなり、これを辞任する。シートンは、その後もウッドクラフト・インディアンズ活動を続け、子供達に自然活動のすばらしさを教える。

 1930年にアメリカの市民権を取得する。1946年、ニューメキシコ州で生涯を閉じる。

 <注>本項の記述は、その多くをウィキペディア「アーネスト・トンプソン・シートン」に依存している。


偉人のプロフィール

〔シートン〕のプロフィール。

〔シートン〕

シートンの肖像・写真 
(出典:wikipedia)

プロフィール
通称 シートン
本名 アーネスト・トンプソン・シートン
(Ernest Thompson Seton)
別名

受賞歴
時代 19世紀後半~20世紀前半
生誕 1860年8月14日・イギリス:サウス・シールズ
死没 1946年10月23日・アメリカ合衆国:ニューメキシコ州
国籍 イギリス・アメリカ
言語 英語
居住地 イギリス・アメリカ・カナダ
学歴 〔出身校〕

 ・オンタリオ美術学校
 ・ロイヤル・アカデミー絵画彫刻学校

職業 博物学者・作家・画家
分野 野生動物
所属
業績 〔業績〕

 ・野生動物の生態研究

作品 〔著作〕

『シートン動物記1 私が知っている野生動物』

 ・ロボ-コランポーの王様
 ・銀の星-あるカラスの物語
 ・ぎざ耳坊や-綿尾ウサギの物語
 ・ビンゴ-私の犬の話
 ・スプリングフィールドのキツネ
 ・だく足の野生馬
 ・ワリー-キツネ犬の話
 ・赤襟さん-ドン谷のアメリカウズラの物語
 ・灰色グマの伝記
 ・サンドヒル雄ジカの足跡

『シートン動物記2 狩られるものの生活』

 ・クラッグ-クートネー峰の雄羊
 ・町の吟遊詩人-ある雄スズメの冒険物語
 ・ジョニー熊
 ・マガモの母さんと陸の旅
 ・チンク-子犬の成長
 ・カンガルー・ネズミ
 ・ティトー-りこうになったコヨーテの話
 ・コガラは、なぜ年に一回気が狂うのか
 ・タラク山の熊王

『シートン動物記3 野生動物の生き方』

 ・黒いくり毛-ある荒れ馬の物語
 ・あぶく坊や-あるイノシシの生涯と冒険
 ・ウェイ・アッチャ-キルダー川のあらいぐま
 ・ビリー-りっぱになった犬
 ・アタラファ-翼を持った妖精
 ・ウィンディゴールの雁
 ・ジニー-暴れザルをならす
 ・銀ギツネの伝記

『シートン動物記4 動物の英雄たち』

 ・裏町の野良ネコ
 ・アルノー-ある伝書鳩の生涯
 ・バッドランドのビリー-勝利をえた狼
 ・少年とオオヤマネコ
 ・小さな軍馬-あるジャックウサギの物語
 ・スナップ-あるブルテリヤの話
 ・ウイニペグのオオカミ
 ・白いトナカイの伝説
 ・ホッキョクギツネの伝記

『シートン動物記5 歴史に残る動物たち』

 ・旗尾リス
 ・歴史に残る動物たち
  ・ウォスカと勇敢な子オオカミ
  ・チリンガムの雄牛
  ・小さなマリーとオオカミたち
  ・自動車のステップに乗ったオオカミ
  ・飼いならされた獣たちに見られる野性の習慣
  ・パードリックと最後のアイルランド狼
  ・リーンコーン
  ・裁かれたオオカミ
  ・猟犬キャロッツ
  ・チカリー
  ・女グマ
  ・夜の森の水辺にて
  ・ネズミとガラガラヘビ
  ・ディポー
  ・ハンクとジェフ
  ・ジェイボウダーンの鬼オオカミ
  ・フランスの狼王、クルトー
  ・ヒョウを愛した男
  ・誰が英雄だったのか

『シートン動物記6 森と自然の物語』

 ・安住の地の動物たち
 ・森と自然の物語
  ・春に見ることができるもの
  ・夏に見ることができるもの
  ・秋に見ることができるもの
  ・冬に見ることができるもの

『シートン動物解剖図』

名言 〔シートンの名言〕

〔名言〕

・僕は最後まで手を尽くした。
・追跡不可能な動物はいない。

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