1820年には、音楽付き劇用として「魔法の竪琴」の付随音楽を作曲した。また、オペレッタ「ふたごの兄弟」なども作曲している。1821年に「魔王」が作品1として出版されて、それなりの評価を受ける。
1822年には、著名な交響曲第7番ロ短調「未完成」を作曲している。この年に、数年前から書き始めていたミサ曲変イ長調を完成、ピアノ曲「さすらい人幻想曲」を発表した。
1823年には、連作歌曲集「美しき水車小屋の娘」、付随音楽「ロザムンデ」を書いた。
そして、生涯続けることになるピアノ曲集「楽興の時」の作曲を始めている。この年、シュタイアーマルク音楽協会(グラーツ)の名誉会員に推挙されている。
1824年には、八重奏曲、弦楽四重奏曲「死と乙女」を作曲した。その翌年の1825年には、イギリスの詩人ウォルター・スコットの詩にもとづく3曲の「エレンの歌」を書いた。中でも第3番「アベ・マリア」は優れた作品となった。
1826年以降も次々と新作発表を続ける。1827年には、歌曲集「冬の旅」を発表したが、ここには有名な「菩提樹」が含まれている。
1828年、「大交響曲」ハ長調、ミサ曲変ホ長調、弦楽五重奏曲ハ長調、最後のピアノ・ソナタ3曲を作曲した。
天才作曲家シューベルトは、1828年11月?日、腸チフスのため急逝した。没年わずか31歳であった。没年に書かれた歌曲14曲は、後になって「白鳥の歌」のタイトル名で出版された。
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