皇帝ネロは、ローマ帝国の第5代皇帝である。彼は、紀元37年、小アグリッピナとグナエウス・ドミティウス・アヘノバルブスの息子として生まれた。 |
皇帝ネロは、ローマ帝国の第5代皇帝である。彼は、紀元37年、小アグリッピナとグナエウス・ドミティウス・アヘノバルブスの息子として生まれた。 |
ネロの治世初期の政治は、名君の誉れ高かったとされるが、それは家庭教師であった哲学者ルキウス・アンナエウス・セネカや近衛長官のセクストゥス・アフラニウス・ブッルスの補佐によるものとされる。 |
やがて、義弟ブリタンニクスが成人し、皇位継承権を行使できる時が近づくと、母親は義弟を皇位に付けようと画策する。これを疎ましく思ったネロは、55年、ブリタンニクスを毒殺してしまう。 |
ネロは暴君として名高いが、彼の政策には光と影とがある。ローマ大火後には、ネロは陣頭指揮して、被災者の救済に迅速な政策を実行し、ローマ市民に受け入れられたという。大火跡地にネロは黄金宮殿、ドムス・アウレアを建設したが、これはローマン・コンクリートの普及に貢献したとされる。 |
ネロ帝のアス硬貨(出典:wikipedia)
|
59年に南イタリアのポンペイの円形闘技場で、興奮したポンペイ市民とヌケリア住民との間で暴動が起きた際には、市民の安全のためとして、その後数年間、闘技会の開催を禁止させた。 |
◆〔皇帝ネロ〕のプロフィール。 |