彼は、1477年以降、弟のバルトロメが住むリスボンに移り、地図作成販売などを行いながら、何度も航海に加わっている。コロンブスは、スペイン語やラテン語や天文学、地理、そして航海術の修得に努める。
その時代には、既に地球は球体であることが信じられていた。トスカネッリという人物が、マルコ・ポーロの考えに従い、大西洋を挟んだヨーロッパとアジアの距離はそれほど遠くないと主張していた。
コロンブスは、マルコポーロの『東方見聞録』に強く惹かれ、西回りでアジアに到達することを計画するようになる。知りえる多くの情報を考察して、コロンブスは西廻り航海が可能だとして、次のような5つの根拠を掲げている。
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1 |
地球は球体であり、西に進めば東端にたどりつく。
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地球の未知の部分はアジア東端からベルデ岬諸島以西だけになった。
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2世紀のギリシャの地理学者、マリヌスの説では、ヨーロッパからアジアまでは地球の15/24に当たるとしていたことから、未知の領域は、9/24(約1/3)に相当するはずだ。
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マリヌスが認識するアジアは、当時の認識としてのアジア東端までに比すれば狭いはずで、未知の領域はさらに狭くなるはずだ。
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5 |
9世紀のイスラム人天文学者、アルフラガヌスは経度1度=約56.6マイルと計算していた。これから推論すれば、未知の領域は、56.6×360/3=約6800マイルとなる。しかも、これは赤道上での計算であり、北寄航路ならば距離はさらに縮まる。
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