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〔世界の偉人〕

クライン
(Felix Christian Klein)

 

 クラインは、ドイツの数学者である。群論と幾何学との関係、関数論などの発展に寄与した。位相幾何学で扱われる有名な〔クラインの壺〕の考案者としてしられる。

 クラインは、デュッセルドルフ生まれで、ボン大学ではプリュッカーの指導により数学を学んだ。彼は、後の時代の著名な数学者である、ヒルベルトやポアンカレなどに大きな影響を与えた。

 プロイセンとフランスとの普仏戦争の時代には、プロイセン軍で衛生兵としてに従軍した。終戦後の1872年には、23歳という異例の若さでエアランゲン大学の教授に就任する。 ここで彼は、著名な数学者であるリーとジョルダンから群論を学び、幾何学へ応用する。



 教授就任講演としてエルランゲン・プログラムを提案し、クラインの偉大な業績のひとつとなる。エルランゲンプログラムとは、幾何学とは何か、どのように研究すべきものかを示した指針であり、エルランゲン目録と表記されることもある。

 1875年にはミュンヘン工科大学教授に就任する。有名な哲学者ヘーゲルの孫アンネ・ヘーゲルと結婚している。


 1880年にライプツィヒ大学教授として就任し、フランスの科学アカデミーが提示した微分方程式に関するコンクール問題について、これも有名な数学者、ポアンカレと交流をもつようになるが、初期はともかく、最終的には最悪の状態となって、交流は途切れる。

 その後、クラインはうつ病となり、数学研究より数学教育にシフトし、数学雑誌「Mathematisches Annalen」を刊行して教育改革にも取り組んだ。そして、ヒルベルトやマックス・デーンなどの数学者を育てた。

 1885年には、ロンドン王立協会の外国人会員となり、1886年にゲッティンゲン大学教授に就任する。ここでの職務は、1913年に健康上の理由で退職するまで続いた。

 彼の重要な功績のひとつは、エルランゲン・プログラムであり、幾何学は図形(空間)にある変換を施したときに、変わらない性質を研究する学問であるとした。

 クラインは、ユークリッド幾何学や射影幾何学、位相幾何学(トポロジー)などの特徴を整理し、いままで雑多に創り出されてきた数々の幾何学を分類しなおした。

 彼の有名なもうひとつの貢献は、位相幾何学分野における、向き付け不可能な閉曲面の発見である。通常、この多様体はクラインの壺といわれている。

クラインの壺 
クラインの壺(出典:wikipedia)

偉人のプロフィール

〔クライン〕のプロフィール。

〔クライン〕

クラインの肖像・写真 
(出典:wikipedia)

プロフィール
通称 クライン
本名 フェリックス・クリスティアン・クライン
(Felix Christian Klein)
別名

受賞歴
時代 19世紀後半~20世紀前半
生誕 1849年4月25日・ドイツ連邦プロイセン王国ラインラント県:デュッセルドルフ
死没 1925年6月22日(76歳)・ドイツ国プロイセン州ハノーファー県:ゲッティンゲン
国籍 ドイツ
言語 ドイツ語
居住地 ドイツ
学歴 ライン・フリードリヒ・ヴィルヘルム大学ボン
職業 数学者
分野 数学
所属 〔研究機関〕

 ・フリードリヒ・アレクサンダー大学エアランゲン
 ・ミュンヘン工科大学
 ・ライプツィヒ大学
 ・ゲオルク・アウグスト大学ゲッティンゲン

業績 〔主な業績〕

 ・エルランゲン・プログラム
 ・クラインの壺

作品 〔著書〕

 『独逸ニ於ケル数学教育 ふぇりっくす・くらいん講演』
 『高い立場からみた初等数学』第1
 『高い立場からみた初等数学』第2
 『高い立場からみた初等数学』第3
 『高い立場からみた初等数学』第4
 『幾何学の基礎/エルランゲン・プログラム』(ヒルベルト、クライン )
 『数学教育改革論』(ペリー、クライン)
 『クライン:19世紀の数学』
 『正20面体と5次方程式』
 『正20面体と5次方程式』

受賞歴 ド・モルガン・メダル(1893年)
コプリ・メダル(1912年)

名言 〔クラインの名言〕



サイト
その他