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〔世界の偉人〕

ガガーリン

 

 ユーリイ・アレクセーエヴィチ・ガガーリンは、ソビエト連邦の軍人でパイロット、宇宙飛行士であり、軍人としての最終階級は大佐である。

 1961年、彼は世界初の有人宇宙飛行士としてボストーク1号に単身搭乗したことで知られる。

ガガーリンの写真 
(出典:wikipedia)

 日本では、彼が地上に無事帰還したとき発したとされる「地球は青かった」という言葉が有名である。



 ガガーリンは、モスクワ西方の小村クルシノで生まれたが、両親はコルホーズの労働者であった。父親は教養のある腕利きの大工であり、母親もインテリで読書家であったとされる。

 少年時代は、まじめで勉強家で茶目っ気もある少年だったらしい。少年時代の数学の教師がパイロットとして従軍したことで、その後のガガーリンの生き方に大きく影響を与えた。

 当初、金属工場の見習いとして働き出したが、成績優秀だったことで、技術教育を受けるべくサラトフの学校へ送られた。そこで彼はエアロクラブに入り、軽飛行機での飛行訓練を受け、飛行することに夢を膨らませた。卒業後には、パイロットを目指して、1955年にオレンブルクにあった空軍士官学校に入学るす。

 1960年代、米ソ冷戦下での競争が激化する中、ソヴィエトでは、宇宙飛行士の選抜が始められ、ガガーリンも20人の候補生の一人に選ばれた。当時のロケットは小型であり、身長158cmのガガーリンは有利だったし、何より労働者階級出身の英雄として適していた。

 こうして、1961年4月12日、ガガーリンはボストーク3KA-2で世界初の有人宇宙飛行に成功する。飛行中「祖国は聞いている」という歌を口ずさみながら自分自身を鼓舞したという。地球周回軌道に入った宇宙船は、大気圏外を1時間50分弱で1周し、ソヴィエト社会主義共和国連邦領内の牧場に帰還した。

 ガガーリンは、世紀の英雄であったが、1968年3月27日、MiG-15UTIでキルジャチ付近を飛行中、墜落事故を起こし、死亡した。享年34歳だった。


偉人のプロフィール

プロフィール
通称

ユーリイ・ガガーリン
(Юрий Гагарин)

本名 ユーリイ・アレクセーエヴィチ・ガガーリン
(Юрий Алексеевич Гагарин)

別名
称号 〔ソヴィエト空軍最終階級〕大佐

時代 20世紀

生誕・生誕地 1934年3月9日
ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国 スモレンスク州クルシノ

死没 1968年3月27日(34歳没)
ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国 ノヴォショロヴォ

国籍

ソヴィエト連邦

言語 ロシア語

居住地
学歴
職業 〔ソビエト連邦の軍人〕
 ・ソビエト空軍
 ・パイロット
 ・宇宙飛行士

分野 宇宙飛行

所属 ソ連空軍

業績 〔軍歴〕1955年 - 1968年

〔宇宙飛行士〕  ・1961年、世界初の有人宇宙飛行としてボストーク1号に単身搭乗。

処女作
作品
受賞歴 〔政府から受け取った最初の宇宙飛行士としての報酬〕
 ・15000 ルーブル
 ・GAZ社製の自動車GAZ M21 Volga(英語版)
 ・家具付きの家
 ・家族や親兄弟の服など

〔称号の一部〕
 ・ソ連邦英雄(1961年4月14日)
 ・ソ連操縦士=宇宙飛行士(1961年6月27日)

〔勲章の一部〕
 ・レーニン勲章(1961年4月14日)
 ・ナイル勲章(エジプト、1962年1月31日)
 ・カール・マルクス勲章(ドイツ民主共和国、1963年10月22日)

名言 ・さあ行こう
 (前人未到の宇宙に飛び立つ際に発した言葉。)

・地球は青かった  (1961年4月13日。着陸地点でイズベスチヤ記者に述べた言葉)
 (正確には、「空は非常に暗かった。一方、地球は青みがかっていた。」と述べている。)

・神はいなかった
 (ガガーリンの地球周回中の言葉として報道された言葉。)

サイト
その他  ガガーリンの発案で、宇宙船の操縦室に熊の人形をぶら下げる風習がある。

 無重量状態では人形が宙に浮くので、ロケットエンジンによる加速を止め慣性と重力だけでの運動に移行時に一目瞭然だからであr、この伝統は21世紀になった今でも続いているという。

 宇宙飛行から無事帰還した際の歓迎パーティに列席していた、ロシア正教のモスクワ総主教アレクシー1世がガガーリンに対して質問し、ガガーリンが答えた。

 質問:「宇宙を飛んでいたとき、神の姿を見ただろうか。」
 答え:「見えませんでした。」

 総主教は言うのだった。「わが息子よ、神の姿が見えなかったことは自分の胸だけに収めておくように。」

 その後、フルシチョフが同じ質問をし、そしてガガーリンが答えた。

 質問:「神の姿を見たかね」
 答え:「見えました。」

 フルシチョフはいうのだった。「同志よ、神の姿が見えたことは誰にもいわないように。」


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