これに傷ついたモールスは、高速な長距離通信手段の研究を始めることとなるのでした。1832年、大西洋横断中の船内で、電磁気学に詳しいチャールズ・トーマス・ジャクソンという人物と出会い、彼が電磁石を用いて行う実験を見て、遠距離通信の可能性に気づきました。
電磁石の導線を延伸させて、一方の端で電流を断続させれば、反対側の電磁石が反応して磁気が変化することで信号を送信できると考えたのです。同時代、既に何人かの人たちが同様なアイディアを生み出していて、電信による遠距離通信の実用化は激しい競争の時代に突入しようとしていました。
現に、1833年には、ヴィルヘルム・ヴェーバーとカール・フリードリヒ・ガウスが電磁石による電信装置を作りあげていて、その応用としてウィリアム・クックとチャールズ・ホイートストンが電信を初めて商業化しています。
1837年には、特許を取得したクックとホイートストンは、グレート・ウェスタン鉄道に21kmもの遠距離に渡る電信線を設置しました。彼らのシステムは複数の電信線を必要とするものだったため、後になって電信線1本でよいモールス方式に取って代わられます。
モールスは、短距離での送信はできても、長距離では信号が減衰してしまい使い物にならない問題に遭遇します。モールスは、ニューヨーク大学教授レナード・ゲールのアイディアにより、電信線の途中に一定間隔で継電器を設置することでこの問題を解決します。1838年1月11日には、通信のデモンストレーションに成功します。
その年、連邦政府からの支援を要請したが失敗します。モールスはスポンサー獲得、特許取得のためにヨーロッパに行き、既にクックたちが電信を商業化していることを知ることになります。
1842年12月に、再度連邦政府の支援を要請し、ようやく予算が付きワシントンD.C.とボルチモア間61kmに電信線を敷設され、1844年5月1日に、最初の通信が行われました。5月24日には通信網が正式に開通しました。
通信には、効率よくそれを行うための工夫が必要であり、将来モールス符号と呼ばれるものを共同研究者のアルフレッド・ヴェイルが発明しています。A・B・Cなどの〔文字〕を〔トン〕と〔ツー〕の組み合わせで表す文字符号を考案したのでした。
モールスの電信装置は、1851年にイギリス以外のヨーロッパで標準方式として正式採用されました。1861年には、ニューヨーク-サンフランシスコ間の大陸横断電信線が完成しました。
尚、モールスは、アメリカ合衆国における奴隷制確立を支持し、反カトリックと反移民運動も支援したことでも知られています。
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