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〔世界の偉人〕

〔に〕で始まる世界の偉人

ニールス・ボーア
(デンマーク語: Niels Henrik David Bohr)



 ニールス・ボーアは、デンマークの理論物理学者で、量子論の育ての親として知られる。彼は、前期量子論の展開を指導し、量子力学の確立に偉大な貢献をした。

 20世紀初頭における物理学の進歩に対して様々な貢献を成しとげ、量子力学の確立において、相対性理論の確立者アインシュタインと双璧を成すと称される。




 ニールス・ボーアは、1885年にデンマークのコペンハーゲンで生まれた。ボーアは、生涯を通して、社交的な人柄で、多くの物理学者から慕われ、量子力学の形成に指導的役割を果たしたとされる。

 1903年にコペンハーゲン大学に入学、1911年にはイギリスへ留学し、僅かの間キャヴェンディッシュ研究所で働いたのち、同年、マンチェスター大学のアーネスト・ラザフォードの元で原子模型の研究を始めた。

 コペンハーゲン大学では、水の表面張力の研究で、1906年にデンマーク科学アカデミーの金メダルを受賞している。また、1911年には、金属中の電子の状態に関する理論を打ち立て、博士号を取っている。


 そして、コペンハーゲン大学に戻ると、マックス・プランクの量子仮説をラザフォードの原子模型に適用して、1913年に独自の原子模型を構築した。いわゆるボーアの原子モデルである。

 1921年には、コペンハーゲンに理論物理学研究所(ニールス・ボーア研究所)を開設して、外国から多くの物理学者を招いて研究をする。いわゆるコペンハーゲン学派の成立である。

 ニールス・ボーアは、ボーアモデルを初めとする原子物理学への偉大な貢献により、1922年にノーベル物理学賞を受賞している。その後も、ヴェルナー・ハイゼンベルクらとともに、量子力学の構築に貢献した。

 第二次世界大戦でナチス・ドイツがユダヤ人迫害を始めると、ユダヤ人を母に持つボーアはイギリスを経由してアメリカに渡った。

 ボーアが1939年に発表した、「ウラン同位元素235は分裂しやすい」というボーアの原子核分裂予想は、後の原子爆弾開発への重要な理論根拠となった。

 戦後は核兵器を国際的に管理することを提唱、晩年は原子力の平和利用を提唱、数々の業績を残した。

 1952年には、ジュネーブにあるヨーロッパ連合原子核研究機関(CERN)の創立に助力した。北欧理論原子物理学研究所(ノルディタ)の創立にも助力し、1957年には、最初の原子力平和利用賞を受賞している。

 ニールス・ボーアは、1962年6月に脳溢血に倒れ、一時的に回復したものの、同年11月18日故郷のコペンハーゲンで死去した。享年77歳であった。


偉人のプロフィール

〔ニールス・ボーア〕のプロフィール。

〔ニールス・ボーア〕

ニールス・ボーアの肖像・写真 
(出典:ウイキペディア)
プロフィール
通称  ニールス・ボーア
本名  ニールス・ヘンリク・ダヴィド・ボーア(デンマーク語: Niels Henrik David Bohr)
別名

受賞歴
時代  19世紀末~20世紀
生誕  1885年10月7日・デンマーク:コペンハーゲン
死没  1962年11月18日・デンマーク:コペンハーゲン
国籍  デンマーク
言語  デンマーク語・英語
居住地  デンマーク、アメリカ
学歴  コペンハーゲン大学
職業  理論物理学者
分野  量子論
所属
業績 〔業績〕

 ・量子論の育ての親
 ・前期量子論の展開を指導
 ・量子力学の確立に貢献

〔活動〕

 ・アマチュアサッカー選手出身
 ・王立協会外国人会員

作品 〔著作〕

 『原子論と力学』
 『国連への公開状 1950年6月9日』
 『原子理論と自然記述』
 『原子理論と自然記述』
 『因果性と相補性』
 『量子力学の誕生』

受賞歴 〔受賞歴〕

 ・ノーベル物理学賞(原子構造とその放射に関する研究)
 ・デンマーク科学アカデミーの金メダルを受賞(1906年)

名言 〔ニールス・ボーアの名言〕

 彼は論文以外の文章をほとんど残していないので、彼の残した名言は多くはないが、それでも次のような言葉を残している。

 『「自然がいかにあるかを見出すことが物理学の任務である」と考えることは、誤りである。物理学は、われわれが自然について何を言い得るかに、関するものである』

「私が述べるすべての文章は、断定ではなく、質問であると理解されるべきである」

サイト
その他

〔元素名〕

 ・1997年に107番元素がボーアの名にちなみ「ボーリウム」と命名された。

 ・元素の周期律の理論で予測した新元素がボーアの研究所で発見され、ハフニウムと命名された。

〔議論好き〕

 ・エルヴィン・シュレーディンガーが波動力学について、彼をコペンハーゲンに招きよせ、討論に疲れ切って寝込んだシュレーディンガーの病床でまで議論を続けたとされる。

 ・アインシュタインが量子力学に反対すると知ると、尊敬するアインシュタインとも論争を続け説得しようとしたという。

 ・マックス・ボルン宛にアインシュタインが書いた手紙で「神はサイコロを振らない」と述べたアインシュタインに対して、ボーアは「アインシュタインよ、神が何をなさるかなど、注文をつけるべきではない」と述べたとの有名なエピソードがある。