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〔世界の偉人〕

マルコ・ポーロ
(伊: Marco Polo)

 

 マルコ・ポーロは、ヴェネツィア共和国の商人・冒険家・旅行家である。有名な『東方見聞録』を著し、ヨーロッパへ中央アジアや中国を紹介した。書物の中で黄金の国ジパングが存在することを紹介している。

 彼の冒険談は当時のヨーロッパの地理学に大きな影響を与え、世界地図が作成されることとなる。更に、コロンブスなど多くの冒険者に刺激を与えることとなった。


 マルコ・ポーロの生誕については、正確には分からず推測の域をでないが、最も確からしい情報は1254年生まれと考えられている。生誕地についてもヴェネツィア共和国とされているが、確実ではない。



 マルコ・ポーロの生家は歴史を有する商家である。父親のニコーロは、中東貿易を行う商人として活動し、それなりの財と地位を成していた。

 父親とその兄弟はマルコが生まれるより前に、貿易の旅に出てコンスタンティノープルに住み着いていたが、政変勃発を予感して、彼らは財産をすべて宝石に換えて、毛皮貿易で栄えるクリミアへと向かっている。

 やがて、マルコは母親を失い、叔父と叔母に養育され、十分な教育を受けているが、ラテン語を学ぶ機会はなかったという。


 1269年に父親とその兄弟はヴェネツィアに戻り、初めてマルコと会う。マルコ・ポーロは、父親と叔父とから商取引を学ぶことになる。

 そして、1271年後半になると父親兄弟は、17歳になったマルコを連れてアジアへの旅に出発する。

 以降、長い年月にわたりアジアの各地を廻ったが、一行が富と宝を持って戻るのは24年後の1295年である。実に、全行程15,000kmの旅であった。

クリストファー・コロンブスが手書きの注釈を加えた『東方見聞録』写本 
クリストファー・コロンブスが手書きの注釈を加えた『東方見聞録』写本(出典:ウイキペディア)

 帰国すると、マルコはジェノヴァとの戦争に志願して従軍したが、捕虜となり投獄されてしまう。そこでの囚人仲間に長年の旅の話をしたが、これが後に彼の著作『東方見聞録』となるのである。

 数か月の収監中にマルコは自身の旅の詳細を口述し、これを同じ投獄仲間の職業的著述家、ルスティケロ・ダ・ピサが記録した。ビザは、マルコの話に加えてビザ自身が聞きかじった物語や逸話、伝聞も加えて記録して『東方見聞録』としたのである。

 この『東方見聞録』によれば、彼らはアジアを東へ向かい、クビライにも謁見したという。

 『東方見聞録』は、当時の中国やインド、日本など極東地域のさまざまな包括的情報を、ヨーロッパに初めて紹介することとなった。

 彼は、1299年に釈放されると、父親兄弟がヴェネツィア市内に購入した広大な屋敷に戻る。事業活動はその後も継続し、豪商の仲間入りをする。結婚もして3人の子供にも恵まれている。

 マルコは、遠征への出資をすることはあるも、自らはヴェネツィアに留まり旅にでることはなかった。そして、1324年に没し、サン・ロレンツォ教会に埋葬されている。

 彼の先駆的な極東への冒険は当時のヨーロッパ地理学にも影響を与え、フラ・マウロの世界図が作成されている。また、クリストファー・コロンブスなど多くの人物に刺激を与え、その後の冒険へと繋がっていくのである。


偉人のプロフィール

〔マルコ・ポーロ〕のプロフィール。

〔マルコ・ポーロ〕

マルコ・ポーロの肖像・写真 
(出典:ウイキペディア)
プロフィール
通称 マルコ・ポーロ
本名 マルコ・ポーロ(伊: Marco Polo)
別名

受賞歴
時代 13世紀後半~14世紀初頭
生誕 1254年9月15日・ヴェネツィア共和国
死没 〔死没地〕:1324年1月8日・ヴェネツィア共和国:ヴェネツィア

〔墓地〕:サン・ロレンツォ教会

国籍 イタリア(ヴェネツィア共和国)
言語 イタリア語
居住地 イタリア
学歴
職業 ヴェネツィア共和国の商人・冒険家
分野
所属
業績
作品 〔代表著作〕

『東方見聞録』
(写本名:『イル・ミリオーネ』もしくは『世界の記述』を口述)

名言 〔マルコ・ポーロの名言〕



サイト
その他

 マルコ・ポーロの名称は、「マルコ・ポーロ国際空港」や「マルコポーロヒツジ」などとして現在も名残りを残している。

 また、マルコの肖像は、旧1000リレ紙幣にも描かれている。

マルコの肖像が描かれた旧1000リレ紙幣 

マルコの肖像が描かれた旧1000リレ紙幣
(出典:ウイキペディア)