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〔世界の偉人〕

スターリン

 

 スターリンは、ソビエト連邦の政治家・軍人で、同国の第2代最高指導者である。正教の神学校で教育を受けたが、後にこれを破棄して無神論者となり、ロシアでのマルクス主義に基づく革命運動に参加する。

 レーニンによるロシア社会民主労働党ボリシェビキ派による十月革命に参加し、ソヴィエト連邦政府およびソヴィエト連邦共産党の成立に大きく貢献する。

スターリンの肖像・写真 
(出典:ウイキペディア)

 1924年にレーニンが死去すると、トロッキーとの権力闘争が起こるが、これを制し、自身の属するソビエト連邦共産党中央委員会書記長に権限を集中させてレーニンの後継者となる。

 スターリンは、一国社会主義論の路線を唱え、これと理論対立するトロツキー派の世界革命論(永久革命)を否定し、トロッキー派を粛清した。以降、ソビエト連邦共産党中央委員会書記長などの要職を兼任、国家指導者として君臨した。

 1928年、第一次五ヶ年計画により、政府主導で農業事業の集団化であるコルホーズによる合理化と統制を進め、帝政ロシア時代からの脆弱な工業力を強化する工業重点化政策を推進した。

 これにより、ソヴィエト連邦は、農業国から工業国への脱皮し、世界第2位の経済大国に躍進する基礎を築いた。

 一方で、急激な経済構造改革は、多くのひずみを伴い、国民は飢饉などの苦しみを味わうこととなる。農業政策の混乱が深刻な食糧不足を招いたのである。

 スターリンの政策に反対する勢力に対しては、厳しい弾圧を行い、非常に多くの犠牲者を出すことになる。強制的な収容所送りとなった者は100万人以上を数え、それを免れた者たち数百万人もがシベリアなどの僻地へ追放された。

 大規模な反対派摘発が行われ、数十万人もの者が処刑されたり、追放されたりした。

 1939年、ナチスドイツが台頭すると、反共主義・反スラブ主義を掲げていたナチス・ドイツと独ソ不可侵条約を締結する。秘密議定書に基づく、ソ連によるポーランド侵攻が第二次世界大戦の引き金となる。



 やがて、ポーランド分割、バルト三国併合、東カレリア併合などの軍事行動に成功する。アジア方面では、ドイツと同じ枢軸国である日本とも日ソ中立条約を結ぶ。

 1941年、第二次世界大戦で中立の立場にいたソ連だったが、ドイツによる侵略を受け、独ソ戦が始まる。そして、イギリスを中心とする連合国陣営にも参加する。

 戦争は長期化し苦戦したが、最終的にはドイツの首都ベルリンを陥落させ、東欧を支配下に置いた。

 アジア方面では対日参戦して、満州を攻略、日本の北方領土を奪い取った。

 第二次世界大戦でのソ連の役割は強大で、ソ連は国際連合安全保障理事会常任理事国となった。ソ連は米国と並ぶ超大国として君臨するようになる。

 ファシズム打倒後の戦後、共産主義と資本主義の対立が鮮明になる。米国が西欧諸国と北大西洋条約機構を結成すると、ソ連は東欧諸国とワルシャワ条約機構を結成する。

 こうして、その後長年にわたり続く、共産主義と資本主義の対峙する冷戦が始まるのである。

 1953年3月1日、ラヴレンチー・ベリヤ、ゲオルギー・マレンコフ、ニコライ・ブルガーニン、ニキータ・フルシチョフとの徹夜の夕食の後、寝室において脳卒中発作で倒れる。一時的に意識が戻るが会話はできず、4日後の3月5日に死去した。

 死後に展開された権力闘争の結果、ニキータ・フルシチョフが権力の座につくと、スターリン派に対する批判が展開され始めた。スターリンは偉大は国家指導者の座から転落し、恐るべき非道の独裁者の烙印を押される。

 しかし、現在でもスターリンの評価は、二分している。彼は恐るべき独裁者なのか、それとも偉大な指導者・英雄なのか、意見は混在しているのである。


偉人のプロフィール

プロフィール
通称 スターリン
本名

〔本名〕

ヨシフ・ヴィッサリオノヴィチ・スターリン(ロシア語: Иосиф Виссарионович Сталин)

スターリンという姓は「鋼鉄の人」を意味する筆名

別名

称号

時代

19世紀末~20世紀

生誕・生誕地

1878年12月18日・ロシア帝国:グルジア地方・ゴリ

死没

〔没地〕:1953年3月5日(74歳)・ソビエト連邦内、ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国:モスクワ市、クンツェヴォ・ダーチャ

〔埋葬地〕:ロシアの旗 ロシア:モスクワ市、クレムリン共同埋葬地

国籍

〔国籍〕:ロシア

〔州籍〕:グルジア系ロシア人

言語

ロシア語

居住地

ロシア

学歴

職業

ソビエト連邦の政治家・軍人

分野

ソヴィエト連邦指導者

所属

〔政党〕

・ロシア社会民主労働党→
・ボリシェビキ派→
・ソビエト連邦共産党

〔ソビエト社会主義共和国連邦〕

・連邦共産党書記長
・任期(1922年4月3日~1953年3月5日)

〔ソビエト社会主義共和国連邦〕

・人民委員会議議長
・ソビエト連邦閣僚会議議長
・任期(1941年5月6日~1953年3月5日)

〔ソビエト社会主義共和国連邦〕

・国家防衛委員会議長
・任期(1941年7月19日~1946年2月25日)

〔ソ連共産党書記〕

・任期(1922年4月3日~1953年3月5日)

〔政治局員〕

・任期(1919年3月25日~1953年3月5日)

〔ソ連共産党組織局員〕

・任期(1919年1月16日~1953年3月5日)

業績

作品

受賞歴

名言

サイト

その他


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