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〔世界の偉人〕

スコット

 

 スコットは イギリス海軍の軍人であり、南極探検家としても知られる。

 彼は1868年に武人の家系の長男として生まれ、13歳で海軍兵学校入学、15歳で士官候補生となり、1888年には海軍大学を卒業した。

スコットの肖像・写真 
(出典:ウイキペディア)

 少佐時代、王立地理学協会による南極探検計画を知り、隊長となることを熱望し、中佐に昇進してその任を果たす。

 1912年、2度目の南極探検で南極点到達を果たすが、既にノルウェーのアムンゼン隊が世界初の南極点到達を果たした後だった。帰途遭難し、死亡した。



 1899年、少佐だったスコットは、王立地理学協会による南極探検計画を知り、隊長として参加する事を熱望する。翌年中佐に昇進しその任にあたった。

 1901年~1904年、国家プロジェクトとして、ディスカバリー号による第1回南極探検が行われた。南極点到達を目指し、残り733km地点にまで到達している。

 この際、ペンギンの生態調査など行い貴重な科学的知見を得て帰国し、高い評価を受けて大佐に昇進した。

 その後、スコットは世界初の南極探検を目指し、2度目の探検隊を組織することを計画し、資金調達に奔走する。今回は国家プロジェクトではなく、個人的な探検である。

 1910年~1912年に、テラ・ノヴァ号による南極探検が行われた。学術調査も計画されていたが、実はノルウェーのアムンゼン隊との人類初の南極点到達を競う戦いであった。

テラ・ノヴァ号(1910年12月) 
テラ・ノヴァ号(1910年12月)
(出典:ウイキペディア)

 1912年1月17日18時30分頃、スコット達は遂に南極点に到達し、翌18日に英国国旗を立てた。しかし、南極点には既にアムンゼン隊が残したノルウェーの国旗が立てられていたのだった。

 アムンゼン隊との世界初の南極点到達競争に敗れたスコット隊は、その帰途の1912年3月29日に遭難し、スコットは死去している。43歳だった。その年の10月には救援隊により遺体が確認された。

南極点到達メンバー 
南極点到達メンバー
(後列左から)ウィルソン、スコット、エヴァンズ
(前列左から)バウアーズ、オーツ
(出典:ウイキペディア)

偉人のプロフィール

プロフィール
通称 スコット
本名

ロバート・ファルコン・スコット(Robert Falcon Scott)

別名

称号

時代

19世紀~20世紀

生誕・生誕地

1868年6月6日・イングランド:プリマス

死没

1912年3月29日(満43歳没)・1912年に南極点到達後帰途遭難死亡

国籍

イギリス

言語 英語
居住地

イギリス

学歴

英国海軍大学

職業

イギリス海軍の軍人

分野

南極探検家

所属

〔イギリス海軍〕

・軍歴:1883-1912
・最終階級:大佐

業績

南極探検

作品

受賞歴

名言

サイト

その他

 ロンドンのウォータールー・プレイスに、かつて、北極探検に挑み志半ばにして死去した、フランクリン遠征隊のジョン・フランクリン隊長の銅像と並んでスコットの像が建てられている。


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