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〔世界の偉人〕

オー・ヘンリー
(O. Henry)

 

 オー・ヘンリーは、アメリカの小説家で、主に短編小説を得意とした作家である。オー・ヘンリーは、短編小説の名手と呼ばれ381編の作品を残した。代表作に次のものなど多数がある。また、映画化された作品も多い。

 『最後の一葉』 『賢者の贈り物』 『都会の敗北』 『振子』



 オー・ヘンリーは、1862年、米国ノースカロライナ州で医師の息子として生まれた。幼少時に母親と死に分かれ、教育者の叔母によって育てられたが、15歳までで学業を離れた。

 20歳の頃、テキサスに移り住み、薬剤師や銀行員、ジャーナリストなどの職を転々として暮らした。1884年には最初の結婚をしている。

 10年後の1894年には諷刺週刊紙『The Rolling Stones』を刊行するも人気が出ず、すぐに廃刊となる。そして、コラムニスト兼記者として『ヒューストン・ポスト』に参加する。


 1896年には『The Rolling Stones』紙の運営費を捻出するために、オハイオ銀行の金を横領し起訴され、1898年に懲役8年の有罪判決を受け服役する。

 本来は規約違反であったが、服役中にも短編小説を書き、作品を出版社や新聞社に投稿して3作を出版している。刑務所では薬剤師の知識があるために優遇され、いわゆる監房ではなく刑務所病院で寝起きを許されていた。

 結局、服役態度のよい模範囚として減刑され、1901年に釈放される。釈放後は『ピッツバーグ・ディスパッチ』紙の記者として働きながら作家活動を始めたが、たった9か月の短期間でニューヨークに移動する。

 ニューヨークでは、『ニューヨーク・ワールド』紙に毎週1編の作品を掲載するという契約を手に入れるなどして、多くの作品を発表した。

 しかし、彼の本格的な処女作品が出版されたのは、1904年の『キャベツと王様』である。1906年には『四百万』を発表している。

 1907年、幼馴なじみのサラと再婚したが、過度の飲酒により肝硬変になり、1910年6月5日に死去している。


偉人のプロフィール

〔オー・ヘンリー〕のプロフィール。

〔オー・ヘンリー〕

オー・ヘンリーの肖像・写真 
(出典:wikipedia)

プロフィール
 
通称  オー・ヘンリー(O. Henry)
本名  William Sydney Porter
別名

 ペンネーム:オー・ヘンリー

受賞歴
時代  18世紀後半~20世紀初頭
生誕  1862年9月11日:アメリカ合衆国 ノースカロライナ州 グリーンズボロ
死没  1910年6月5日:アメリカ合衆国 ニューヨーク州 ニューヨーク
国籍  アメリカ
言語  英語
出身地  アメリカ合衆国:ノースカロライナ州 グリーンズボロ
居住地  アメリカ各地
学歴
職業  作家
分野  短編小説
所属
業績
処女作  『キャベツと王様』(1904年)

作品 〔書籍〕

 『最後の一葉』
 『賢者の贈り物』
 『都会の敗北』
 『警官と讃美歌』
 『赤い酋長の身代金』
 『よみがえった改心』
 『緑の扉』
 『振子』
 『アラカルトの春』
 『運命の衝撃』
 『ハーグレイブズの一人二役』
 『魔女のパン』
 『ラッパの響き』
 『自動車を待つ間』
 『多忙な仲買人のロマンス』
 『黄金の神と恋の射手』
 『桃源郷の短期滞在客』
 『馭者台から』
 『水車のある教会』
 『アレキイのほれぐすり』
 『手入れのよいランプ』
 『睡魔との戦い』
 『ハーレムの悲劇』
 『運命の道』

〔映画〕

 『人生模様』
 『殺したい女』
 『ジャッカー』

名言 〔オー・ヘンリーの名言〕



サイト
その他

〔オー・ヘンリー賞〕

 オー・ヘンリーに因んで、英語の優れた短編小説に与えられる賞である。

〔配偶者〕

 アソル・エステス (1887年~1897年)
 サラ・リンジー・コールマン (1907年~1909年)

〔ペンネームの由来〕

 彼は服役中にオー・ヘンリーのペンネームを名乗るようになるが、その由来には諸説がある。

 ・新聞社交覧で平凡な名前〔ヘンリー〕に単に〔О〕を加えた。
 ・可愛がっていたノラ猫の名前を呼ぶときの「おーい、ヘンリー」から。
 ・オハイオ州立刑務所名のオハイオの〔О〕から。
 ・刑務所の看守か強盗犯〔Orrin Henry〕から。