リンドブラッドやシャプレーらは、銀河系の中心は射手座方向5万光年の位置にあるとしていたが、オールトは精密な計算により、3万光年であると指摘し、現在でもこの値が使用されている。
太陽の公転周期が約2億2500万光年であること、銀河系全体の全質量が太陽の約1000億倍であることを示した。更に、銀河系恒星の公転周期は、銀河中心に近いほど短いことを明らかにした。
1931年、ベル研究所の無線技術者カール・ジャンスキーは、空電現象の観測中にはじめて天体の電波を捕らえ、ここから電波天文学が発祥した。
第二次大戦時、ヤンの教え子であるヴァン・デ・フルストは、水素が波長21cmの電波を放出するという予測を行なったが、1951年にオールトはフルストらライデン大学のチームを率いて、この水素が発生する電波(21cm線)の観測に成功する。
銀河系の構造を意味する、この水素が放出する電波の分布から、ヤンらは、銀河系が渦巻銀河であることを証明した。
1950年、オールトは、太陽近傍に到来する長周期彗星や非周期彗星の起源として、いわゆる〔オールトの雲〕が存在するとの説を唱えた。
オールトの雲は、太陽系を球殻状に取り巻く仮想的な天体群で、その主成分は、水・一酸化炭素・二酸化炭素・メタンなどの氷であると考えられている。これらの天体の引力が相互に影響して、ときどき元の場所を離れて太陽近傍までやってくるとされ、この仮想的な彗星の母胎雲を、彼の名に因んで〔オールトの雲〕と呼んでいる。
オールトの雲 (出典:wikipedia)
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