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〔世界の偉人〕

ネイピア
(John Napier)

 

 ネイピアは、スコットランドのバロンであり、数学者・物理学者・天文学者・占星術師である。彼は、幅広い分野に興味を持つ人物で、多くのことを研究したが、中でも〔対数〕の発見者として知られる。

 ネイピアは、特殊な発想による発明家でもあり、数学分野での発明は現在の数学にも大きな影響を残している。彼は対数の発明の他、〔ネイピアの骨〕と呼ばれる、かけ算や割り算などを簡単に行うための道具を発明したり、小数点の発案者でもある。




ネイピアの骨 
ネイピアの骨 (出典:ウイキペディア)

 ネイピアは、1550年にスコットランドの首都エディンバラ南西のマーキストン城で生まれた。現在、この地はネイピア大学の敷地内にある。

 1563年にネイピアは聖アンドリューズ大学に入学したが、直後に母親が亡くなり中退している。その後は、フランスなど諸外国を遍歴して過ごしたというが詳しくは分からない。

 1571年頃には帰国し、父親からの土地をもらい、ガートネス城に居を構え結婚して、二人の子供をもうける。その後、1579年に妻が亡くなると、再婚して今度は10人の子供を授かる。


 この頃、ネイピアは炭坑から水を外に組みだすための装置の発明する。1599年には『ヨハネの黙示録』を出版して、カトリック教会を批判した。この中で、ネイピアは、最後の審判の日を1688年ないし1700年と予言している。この本は大好評の21版を数え、外国語にも翻訳されたという。

 1594年に対数の概念を発見するにいたり、以後20年間に渡り、対数表の作成を行い、1614年には対数表を完成する。この対数表は、ラテン語論文『素晴らしい対数表の使い方』で発表する。1616年には英語訳が出版されている。

 1608年、父のアーチボルドが亡くななり、マーキストン城の八代目の城主となる。

 1615年の夏、ロンドンのグレシャム大学の幾何学の教授だったヘンリー・ブリッグスがネイピアのもとに一月ほど滞在し、対数について議論を行っている。その翌年も滞在し、対数の用途について研究し、ブリッグスの提案から常用対数や底の概念などが生まれた。こうして、対数が現代の用法に近い形で確立された。

 しかし、1617年4月4日にはネイピアは、自らの城で死の時を迎えた。1619年には、息子であるロバート・ネイピアが遺稿として『素晴らしい対数表の作成方法』を出版し、少数の表現方法として〔小数点〕の使用を提案した。この発明も世界に広まることとなった。

 ネイピアの発明の一つに〔ネイピアの骨〕と呼ばれるものがある。これは掛け算を足し算だけで行う道具である。ネイピアの死後にいろいろと改良されるが、1623年にはウィルヘルム・シッカードが優れた改良を行った。彼は歯車などを用いて自動化したのであり、世界初の歯車式計算機となる。未来のコンピュータへと繋がる第一歩となった。


偉人のプロフィール

〔ネイピア〕のプロフィール。

〔ネイピア〕

ネイピアの肖像・写真 
(出典:ウイキペディア)
プロフィール
通称  ネイピア
本名  ジョン・ネイピア(John Napier)
別名

称号  バロン
時代  16世紀後半~17世紀初頭
生誕  1550年・スコットランドの首都:エディンバラ南西のマーキストン城
死没  1617年4月4日
国籍  イギリス
言語  英語
居住地  イギリス
学歴  聖アンドリューズ大学(中退)
職業  数学者・物理学者・天文学者・占星術師
分野  発明・数学・物理学・天文学
所属
業績 〔著名な業績〕

 ・対数の発明
 ・ネイピアの骨の発明
 ・小数点の発案

作品 〔主な著作〕

 『ヨハネの黙示録の真相』
 『素晴らしい対数表の使い方』
 『素晴らしい対数表の作成方法』(遺稿)

名言 〔ネイピアの名言〕



サイト
その他

〔逸話〕

 使用人の中に屋敷の品物を盗む者がいるとにらんだネイピアは、ニワトリに煤を塗り付け、暗い部屋に置いた上で、犯人が触ればニワトリがそれを知らせてくれると言って、全部の使用人たちにニワトリを触りに行かせた。

 罪の発覚を恐れた犯人だけはニワトリに触らず戻ってきたことで、使用人たちの手のひらの汚れから、犯人を見つけ出したという。